山国陵(読み)やまぐにりよう

日本歴史地名大系 「山国陵」の解説

山国陵
やまぐにりよう

[現在地名]京北町大字井戸 丸山

常照じようしよう寺の後山山腹にある。正式には光厳天皇山国陵・後花園天皇後山国陵・後土御門天皇分骨所である。貞治二年(一三六三)七月七日、光厳法皇は五二歳で山国の地で没した。天龍てんりゆう寺の春屋妙葩の導師によって常照寺開山堂の後山で荼毘に付され、遺骨はそのまま墳土を盛り、塚をつくって松を植えたのが山国陵である(参考太平記)

後花園天皇は光厳天皇の直系にあたり、文明二年(一四七〇)一二月二七日没。遺命により翌三年二月常照寺の春壑が遺骨を山国陵の傍らに葬り、後山国陵と名付けた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の山国陵の言及

【常照寺】より

…64年(正平19∥貞治3)上皇は当寺に没し,遺言により遺骨は寺後の丘上に葬られ,陵上に松だけが植えられたという。当寺背後の山国陵がこれである。寺運は中世末に衰えたが,近世になって皇室の保護をうけて安定し,現存の開山堂(怡雲(いうん)庵),方丈,勅使門,庫裏,舎利殿など,すべて万治(1658‐61)以後の建築である。…

※「山国陵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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