山岡 強一(読み)ヤマオカ キョウイチ

20世紀日本人名事典 「山岡 強一」の解説

山岡 強一
ヤマオカ キョウイチ

昭和期の映画監督 山谷争議団リーダー



生年
昭和15(1940)年7月15日

没年
昭和61(1986)年1月13日

出生地
北海道函竜郡沼田町

学歴〔年〕
札幌南高卒

経歴
高校を出て結核療養、大学にはゆけず、北大の学生達と60年安保闘争に参加しながら、札幌と帯広で業界紙記者をつとめる。昭和43年上京、サンドイッチマン、焼イモ屋、竿竹売りなどアルバイトを転々。同年11月から友人4人と山谷で生活をはじめる。45年6月、山谷現場闘争委員会を組織。55年、全国日雇労働組合協議会が結成され、山谷支部の山谷争議団の実質的リーダーとして活躍。ドキュメンタリー映画「山谷―やられたらやりかえせ」の撮影中刺殺された佐藤監督のあとをつぎ撮影を続けていたが、61年1月13日、凶徒により路上で射殺された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山岡 強一」の解説

山岡強一 やまおか-きょういち

1940-1986 昭和時代後期の社会運動家。
昭和15年7月15日生まれ。東京の山谷(さんや)争議団のリーダーとして悪質手配師とたたかう。支援者で刺殺された佐藤満夫監督の遺志をつぎ,映画「山谷(やま)―やられたらやりかえせ」を完成させたが,直後の昭和61年1月13日凶弾にたおれた。45歳。北海道出身。札幌南高卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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