山岡 熊治(読み)ヤマオカ クマジ

20世紀日本人名事典 「山岡 熊治」の解説

山岡 熊治
ヤマオカ クマジ

明治・大正期の陸軍中佐,社会事業家



生年
明治1年10月25日(1868年)

没年
大正10(1921)年8月7日

出生地
土佐国土佐郡井口村(高知県高知市)

学歴〔年〕
陸士〔明治23年〕卒,陸大〔明治32年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲四等旭日小綬章

経歴
明治32年参謀本部に勤務。37年日露戦争が勃発すると乃木希典幕下の参謀として従軍し、ロシア軍の旅順水師営内にいる非戦闘員に避難勧告するなどの戦功を立てた。しかし、奉天会戦で負傷して両目失明帰国ののち陸軍中佐に昇進。退役後は盲人教育に力を注ぎ、盲人協会会長や残桜会理事などを歴任

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「山岡 熊治」の解説

山岡熊治

没年:大正10.8.7(1921)
生年:明治1.10.25(1868.12.8)
明治期の陸軍軍人。高知県出身。陸軍中将山岡重厚実弟。明治23(1890)年陸軍士官学校卒。同32年陸軍大学校卒。日露戦争(1904~05)では第3軍参謀。軍使として旅順水師営のロシア軍営に赴き非戦闘員の避難を勧告,勇名をはせた。奉天会戦両眼を失明し,帰国後中佐となる。のち盲人協会会長を務めた。

(小池聖一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山岡 熊治」の解説

山岡熊治 やまおか-くまじ

1868-1921 明治時代の軍人,社会事業家。
明治元年10月25日生まれ。山岡重厚の兄。日露戦争では第三軍参謀として従軍,明治38年奉天の会戦で失明。陸軍中佐。退役後は盲人教育につとめ,のち盲人協会会長。大正10年8月7日死去。54歳。土佐(高知県)出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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