山崎直胤(読み)ヤマサキ ナオタネ

20世紀日本人名事典 「山崎直胤」の解説

山崎 直胤
ヤマサキ ナオタネ

明治・大正期の官吏 内務省県治局長。



生年
嘉永5年5月(1852年)

没年
大正7(1918)年2月2日

出生地
豊前国中津(大分県)

経歴
明治5年工部留学生として渡仏しフランスの産業技術を調査、ウィーン万国博覧会事務官も務める。6年帰国し法制官、太政官少書記官、大蔵省大書記官などを経て、太政官大書記官に就任。15年伊藤博文の渡欧随行欧州憲政を視察し、16年帰国。18年内務省初代県治局長、のち宮内省調度頭を務め、29年錦鶏間祗侯となる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山崎直胤」の解説

山崎直胤 やまさき-なおたね

1852-1918 明治時代官僚
嘉永(かえい)5年5月生まれ。フランス留学後,太政(だじょう)官にはいる。明治15年伊藤博文の渡欧に随行して憲政をしらべ,18年内務省の初代県治局長。のち宮内省調度頭をつとめた。大正7年2月2日死去。67歳。豊前(ぶぜん)中津(大分県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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