日本大百科全書(ニッポニカ) 「山本条太郎」の意味・わかりやすい解説
山本条太郎
やまもとじょうたろう
(1867―1936)
明治・大正・昭和期の実業家、政治家。慶応(けいおう)3年11月11日福井県に生まれる。三井物産に入社して中国貿易を担当し、1901年(明治34)上海(シャンハイ)支店長となり在華紡績を確立。1908年本社理事に栄進。孫文(そんぶん)の要求に応じ300万円の借款を供与するなど中国政策に関与したが、シーメンス事件に連座して退社。1920年(大正9)衆議院議員に当選、1927年(昭和2)政友会幹事長、ついで満鉄総裁となり、張作霖(ちょうさくりん)と満蒙(まんもう)五鉄道建設を協定し満蒙問題解決を図ったが、張の爆死事件(1928)で挫折(ざせつ)した。田中義一(ぎいち)内閣総辞職後は満鉄総裁を辞任して挙国一致内閣運動を推進した。1935年貴族院議員に勅選。翌昭和11年3月25日死去。
[藤村道生]
『山本条太郎翁伝記編纂会編・刊『山本条太郎』(1942/復刻版・1983・原書房・明治百年史叢書)』