山田嘉吉(読み)ヤマダ カキチ

20世紀日本人名事典 「山田嘉吉」の解説

山田 嘉吉
ヤマダ カキチ

明治〜昭和期の言語学者,社会学



生年
慶応1年12月10日(1866年)

没年
昭和9(1934)年7月21日

出生地
相模国伊勢原町(神奈川県)

学歴〔年〕
大学(米国)卒

学位〔年〕
哲学博士

経歴
幼くして一家が離散し、明治15年頃渡米、肉体労働の傍ら社会学を学ぶ。北米に17年、欧州に4年、南米に3年間滞在し、苦学の末3つの大学を卒業、博士号を取得。法律・経済・文学などに通じ、語学は英語・フランス語・ドイツ語・ラテン語・ギリシャ語をこなし、ジョーレ派の社会主義者となる。シアトル、のちサンフランシスコに山田英学塾を開設、娼婦救済施設にいた浅葉わかと出会い教育、のち結婚した。39年サンフランシスコ震災のため帰国、東京麴町に英語主体の語学塾を開き大杉栄らを教える一方、わかを平塚らいてうらに引き合わせ婦人言論界の第一線に立たせた。大正3年堺利彦の売文社「へちまの花」社友・特約執筆家となる。以後も執筆活動を続け、政治哲学、英国キリスト教社会主義史、婦人問題などについて数誌に発表。9年わかが個人誌「婦人と新社会」を発刊すると顧問、7号から編集・発行人として全面的に援助し、昭和8年まで刊行した。大正9〜11年専修大学社会学講師。著書に「現代社会学」「社会学概論」、共著に「西洋料理法大全」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山田嘉吉」の解説

山田嘉吉 やまだ-かきち

1865-1934 明治-昭和時代前期の言語学者,社会学者。
慶応元年生まれ。山田わかの夫。明治18年渡米し,肉体労働をしながら社会学をまなぶ。サンフランシスコに山田英学塾をひらき,娼婦救済施設にいたわかを教育,のち結婚。39年帰国して私塾をひらき,大杉栄らにおしえた。昭和9年7月21日死去。70歳。相模(さがみ)(神奈川県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android