朝日日本歴史人物事典 「岡安喜三郎(3代)」の解説
岡安喜三郎(3代)
生年:寛政4(1792)
江戸後期の長唄唄方。初代岡安喜三郎の門人で,前名喜代八。文久年間(1861~64)に喜三郎を襲名するが,むしろ喜代八の名前で有名。非常な美声家で,天保11(1840)年3月の「勧進帳」初演時に「人目の関」を唄い好評を博す。2代目富士田音蔵,3代目芳村伊十郎(のち2代目吉住小三郎)と共に,天保の三名人。喜三郎の名跡は,平成期までに7代を数える。<参考文献>町田博三『長唄稽古手引草』
(植田隆之助)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報