岡野新田(読み)おかのしんでん

日本歴史地名大系 「岡野新田」の解説

岡野新田
おかのしんでん

[現在地名]栄町岡野新田

尾崎おさき村の南、刈谷田かりやだ川下流右岸の村で、西は鬼木おにぎ村と接し、貝喰かいばみ川を挟んで東南に枝郷はんがある。元禄一一年(一六九八)の新田年号并枝村方角道法付(新発田市立図書館蔵)には、寛永元年(一六二四)開発、尾崎新田枝村とあるが、尾崎新田の開発は寛永一五年であり、記された干支から、開発は寛文元年(一六六一)とみられる。同七年と推定される御領内見分之書付(貴船家文書)では物成高一二石九斗余、家数九・人数三四。寛保三年(一七四三)頃の寛保組村郷帳石高(釈迦塚区有文書)によれば、田三町九反余・分米一四石九斗余、畑七町四反余・分米一一石三斗余、野四五町六反余・野直銭二六貫八五八文、家数一三(本家三・名子家七・間脇家三)・人数九九。


岡野新田
おかのしんでん

[現在地名]西区岡野一―二丁目

帷子かたびら川河口、芝生しぼう村地先の寄洲に開発された新田。北から東にかけて入海、南は帷子川を隔て平沼ひらぬま新田、西は藤江ふじえ新田、北西用水堀新田間あらたま川を隔て芝生村に接する。天保四年(一八三三)保土ほど宿(現保土ヶ谷区)の岡野良親が開発に着手、子良哉が受継ぎ完成させた(岡野新田碑陰記)。同一〇年に検地を受け、高八石余、反別二町六反余。明治元年(一八六八)の村明細帳(保土ヶ谷宿本陣文書)によると、さらに開発が進み、高八石余、反別二町九反余が増えている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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