朝日日本歴史人物事典 「岩倉具経」の解説
岩倉具経
生年:嘉永6.6.17(1853.7.22)
岩倉具視の3男。母は家女房野口槙子。明治1(1868)年戊辰戦争に際し,16歳で東山道鎮撫副総督(総督は兄具定)を命ぜられて江戸へ進撃,江戸開城後奥羽征討白川口副総督(総督具定)に転じて奥羽平定に出発するが,まもなくこれを兄と共に辞した。1年堂上に列して40石の禄を与えられ,翌2年賞典禄200石を軍功により給せられた。3年具定と共に米国へ留学,11年初めに帰国し,以後太政官,大蔵省,外務省に勤務,17年男爵を授けられた。同年外務書記官となり駐ロシア日本公使館在勤,21年帰国後北白川宮別当,帝室制度取調委員,宮中顧問官を勤めた。
(上野秀治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報