岩屋堂村(読み)いわやどうむら

日本歴史地名大系 「岩屋堂村」の解説

岩屋堂村
いわやどうむら

[現在地名]若桜町岩屋堂

須澄すすみ村の南東八東はつとう川に注ぐ吉川よしかわ川の谷口に位置し、若桜往来が通る。窟堂とも書いた(因幡志)広峯ひろみね神社(現兵庫県姫路市)社家肥塚家の天文一四年(一五四五)二月吉日の檀那村付帳に「いわいと」とみえる。永禄四年(一五六一)八月吉日には「いわ井と一円」の檀那権が北弥七郎に売渡されている(「福島甚二郎末国売券」来田文書)。藩政期の拝領高は七〇石余、本免六ツ四分。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「因幡誌」によると高一一九石、竈数二〇余。「因幡志」では家数二〇、産土神は妙見社。糸白見いとしろみ村などとともに杣所の村で、物産は杉材木・杉板・莨・白箸・葺板。同書に「当村材木の商人多し、吉川村より製する杉角・杉丸太・杉挽板等皆此所へ買取り、筏に作り鳥取へ廻し是を交易す」と記される。妙見山神光寺跡(境内に窟堂がある)、平経盛一族の墓、小敦盛の墓、大平おおひら城跡・番所がある。安政五年(一八五八)の村々生高竈数取調帳では生高一一〇石余、竈数二七(うち一は山伏正覚院)、ほかに番所一。藪役銀三匁余・川役銀二匁を課されていた(藩史)

番所が設置された時期は不明だが、明暦三年(一六五七)には八東郡では当村と吉川村に置かれており(在方御法度)、宝暦六年(一七五六)に建替えられている(在方諸事控)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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