朝日日本歴史人物事典 「嵐雛助(初代)」の解説
嵐雛助(初代)
生年:寛保1(1741)
江戸中期の歌舞伎役者。初代嵐小六の子。俳名眠獅。屋号吉田屋。宝暦2(1752)年,嵐雛助の名で大坂角の芝居の初舞台を踏み,所作事で天才の芽を窺わせた。16歳で女形となり,32歳で上上吉の評を得ながら,立役に転向。善悪さまざまな役柄を演じて高評を得た。特に「天満宮菜種御供」での実悪の藤原時平,所作事の「化粧六歌仙」など芸品すぐれ,寛政7(1795)年以降は無類上上吉の評を得た。このころ,3代目嵐小六を継ぎ,「小六玉」と称され,給金年1200両余。見物の喝采を嫌い,科を控えて役の性根を十分に表す演技力の持ち主だった。雛助の名跡は昭和期までに10代を数えた。<参考文献>八文字屋自笑『眠獅選』『玉の光』(『上方役者一代記集』上方芸文叢刊4巻)
(青木繁)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報