川尻清潭(読み)かわじりせいたん

改訂新版 世界大百科事典 「川尻清潭」の意味・わかりやすい解説

川尻清潭 (かわじりせいたん)
生没年:1876-1954(明治9-昭和29)

歌舞伎研究家。本名義豊。別号忘路庵(ぼうろあん),大愚堂(だいぐどう),司馬江猿(しばこうえん)など。東京浅草の生れで,養父は劇作家川尻宝岑(ほうきん)。幼少より芝居に親しみ,商業素修学校を卒業後,雑誌《歌舞伎》《演芸画報》等に型の記録芸談逸話・鑑賞手引などを寄稿。1925年からは松竹嘱託として東京歌舞伎座の監事室に勤務,晩年まで豊富な知識が重宝がられた。しばしば古劇を補綴し,舞踊劇も多く執筆。主著に《楽屋風呂》3巻,編著に《名優芸談》,6世尾上梅幸の《女形の事》,7世市川中車の《中車芸話》などがある。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川尻清潭」の解説

川尻清潭 かわじり-せいたん

1876-1954 明治-昭和時代の演劇評論家。
明治9年8月1日生まれ。川尻宝岑(ほうきん)の養子。三木竹二主宰の「歌舞伎」に型の記録や芸談を寄稿,のち「演芸画報」などに執筆した。大正14年東京歌舞伎座監事室室長。昭和29年12月14日死去。78歳。東京出身。商業素修学校卒。名は義豊。別号に忘路庵。著作に「楽屋風呂」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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