川島雄三(読み)カワシマユウゾウ

デジタル大辞泉 「川島雄三」の意味・読み・例文・類語

かわしま‐ゆうぞう〔かはしまユウザウ〕【川島雄三】

[1918~1963]映画監督青森の生まれ。「還って来た男」で監督デビュースラップスティック喜劇風俗喜劇で知られる。水上勉原作「がんの寺」など、文芸作品でも評価された。他に「幕末太陽伝」「女は二度生れる」「しとやかな獣」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「川島雄三」の意味・わかりやすい解説

川島雄三
かわしまゆうぞう
(1918―1963)

映画監督。大正7年2月4日、青森県生まれ。1938年(昭和13)、明治大学専門部文芸科を卒業後、松竹大船撮影所に入社。渋谷実(1907―1980)、島津保次郎(やすじろう)、清水宏、野村浩将(ひろまさ)(1905―1979)、小津安二郎(おづやすじろう)、木下恵介(けいすけ)らの助監督についたのち、1944年に『還(かえ)って来た男』で監督デビュー。第二次世界大戦後は、『シミキンのオオ!! 市民諸君』(1948)や『とんかつ大将』(1952)、斬新な演出が光る『昨日と明日の間』(1954)などの喜劇に異才を発揮し、認められる。1955年、日活に移籍、喜劇『愛のお荷物』(1955)で新たな境地を示し、『風船』『州崎(すさき)パラダイス 赤信号』『わが町』(1956)などで軽妙さと真剣さを織り交ぜた作風を確立。古典落語をもとにした『幕末太陽傳(でん)』(1957)は、フランキー堺の「居残り佐平次」と幕末の志士との駆け引きを活写する代表作となる。1958年、東宝系の東京映画に移籍、『グラマ島の誘惑』(1959)、『貸間あり』(1959)など特異な喜劇に腕を振るう一方、夜の女の人間模様を描く『赤坂の姉妹 夜の肌(はだ)』(1960)、『花影(かえい)』(1961)や、大映で撮った若尾文子(あやこ)主演の三作『女は二度生まれる』(1961)、『雁(がん)の寺』『しとやかな獣』(1962)など、女優の魅力を生かした映画にも才能を発揮する。鋭い人間観察と戯作者(げさくしゃ)精神にあふれた特異な作風は、助監督の今村昌平(しょうへい)や浦山桐郎(きりお)に継承される。喜劇『イチかバチか』(1963)公開直前の昭和38年6月11日に急逝。享年45歳。

[坂尻昌平]

資料 監督作品一覧

還って来た男(1944)
ニコニコ大会 追ひつ追はれつ(1946)
お笑い週間 笑ふ宝船(1946)
深夜の市長(1947)
追跡者(1948)
シミキンのオオ! 市民諸君(1948)
シミキンのスポーツ王(1949)
夢を召しませ(1950)
女優と名探偵(1950)
天使も夢を見る(1951)
適齢三人娘(1951)
とんかつ大将(1952)
相惚れトコトン同志(1952)
娘はかく抗議する(1952)
こんな私じゃなかったに(1952)
明日は月給日(1952)
学生社長(1953)
花吹く風(1953)
新東京行進曲(1953)
純潔革命(1953)
東京マダムと大阪夫人(1953)
お嬢さん社長(1954)
真実一路(1954)
昨日と明日の間(1954)
愛のお荷物(1955)
あした来る人(1955)
銀座二十四帖(1955)
風船(1956)
洲崎パラダイス 赤信号(1956)
わが町(1956)
飢える魂 正・続(1956)
幕末太陽傳(1957)
女であること(1958)
暖簾(のれん)(1958)
グラマ島の誘惑(1959)
貸間あり(1959)
人も歩けば(1960)
接吻(せっぷん)泥棒(1960)
夜の流れ[成瀬巳喜男と共同監督](1960)
赤坂の姉妹 夜の肌(1960)
縞(しま)の背広の親分衆(1961)
特急にっぽん(1961)
女は二度生まれる(1961)
花影(1961)
雁の寺(1962)
青べか物語(1962)
箱根山(1962)
しとやかな獣(1962)
喜劇 とんかつ一代(1963)
イチかバチか(1963)

『映画監督川島雄三を偲ぶ会編『ミューズの蹠あし――川島雄三の生と死』(1980・映画監督川島雄三を偲ぶ会)』『Kawashima club編集委員会編『Kawashima club――鬼才!監督川島雄三の魅力』(1985・Kawashima club編集委員会)』『木村東市著『悲劇の喜劇映画監督・川島雄三――1918(大正七年)~1963(昭和三十八年)』(1988・ジーワン・ブックス)』『『ユリイカ 臨時増刊号 総特集 監督川島雄三』(1989・青土社)』『今村昌平編『サヨナラだけが人生だ 映画監督川島雄三の一生 改訂版』(1991・ノーベル書房)』『藤本義一著『川島雄三、サヨナラだけが人生だ』(2001・河出書房新社)』『磯田勉編『川島雄三 乱調の美学』(2001・ワイズ出版)』『川島雄三著『花に嵐の映画もあるぞ』(2001・河出書房新社)』『川島雄三・柳沢類寿著『柳よ笑わせておくれ』(2001・河出書房新社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「川島雄三」の意味・わかりやすい解説

川島雄三 (かわしまゆうぞう)
生没年:1918-63(大正7-昭和38)

映画監督。みずから軽佻浮薄派を名のり,戦後の日本映画史に特異な位置を占めた。青森県下北郡生れ。小児麻痺という肉体的ハンディキャップや伝説化した暴飲と奇行癖によって,代表作《幕末太陽伝》(1957)の主人公,居残り左平次にその自伝的イメージを見る人も多い。1963年,45歳で早世したが,日活時代の助監督今村昌平は,〈芸術もあった,戦争もあった,泥酔も喧嘩も恋愛も嫉妬も,ケチも痛快も憎悪も,あらゆるものが充実し,煮つまり,華やかに在った〉(《サヨナラだけが人生だ--映画監督川島雄三の一生》)と書いている。松竹で渋谷実,小津安二郎らの助監督を経て,とくに渋谷実の系統をひく喜劇に抜群のさえを見せることになる。松竹のシミキン(清水金一)主演の《オオ!市民諸君》(1948)からフランキー堺主演による日活の《幕末太陽伝》や東宝の《貸間あり》(1959),《人も歩けば》(1960)等々,猥雑な風俗を喜劇的スタイルでとらえることに成功。一方では女と性をテーマにした日活の《洲崎パラダイス・赤信号》(1956)から大映の若尾文子主演による《女は二度生まれる》(1961),《雁の寺》,《しとやかな獣》(ともに1962)など,グロテスクな笑いと欲望のうごめく世界を端正な演出で描ききった。
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20世紀日本人名事典 「川島雄三」の解説

川島 雄三
カワシマ ユウゾウ

昭和期の映画監督



生年
大正7(1918)年2月4日

没年
昭和38(1963)年6月11日

出生地
青森県下北郡田名部町(現・むつ市)

学歴〔年〕
明治大学文学部〔昭和13年〕卒

経歴
昭和13年松竹大船撮影所に助監督として入社。19年織田作之助の「還って来た男」で監督デビュー。21年2作目の「ニコニコ大会・追ひつ追はれつ」では戦後キス・シーン第1号を撮影。「オオ!市民諸君」や「東京マダムと大阪夫人」などを作り、ナンセンスと風刺喜劇で才能を発揮。29年の「真実一路」「昨日と明日」で注目され、30年日活に移って織田の「わが町」(31年)、芝木好子の「洲崎パラダイス・赤信号」(31年)など風俗物を手がけ、時代劇「幕末太陽伝」(32年)で名声を上げた。このあと東宝系で「貸間あり」「夜の肌」、大映で「女は二度生まれる」「雁の寺」「しとやかな獣」などを発表。生涯作品51本。奇行や女性遍歴でも有名。平成2年映画殿堂入り。著書に「花に嵐の映画もあるぞ」。

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百科事典マイペディア 「川島雄三」の意味・わかりやすい解説

川島雄三【かわしまゆうぞう】

映画監督。青森県生れ。明治大卒業後,松竹大船撮影所に入所。《還って来た男》(1944年)でデビュー。《オオ! 市民諸君》(1948年)などを手がけたのち1955年日活に移籍し,《洲崎パラダイス・赤信号》(1956年),《幕末太陽伝》(1957年),《貸間あり》(1959年),《しとやかな獣》(1962年)などの傑作を発表。卑俗で軽薄な題材を選び,特異な戯作調の作品を生み出した。
→関連項目浦山桐郎小林旭フランキー堺山田洋次

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川島雄三」の解説

川島雄三 かわしま-ゆうぞう

1918-1963 昭和時代の映画監督。
大正7年2月4日生まれ。松竹に入社して渋谷実らにつき,昭和19年監督に昇進。30年日活にうつり,風俗映画や喜劇に才能を発揮。代表作に「洲崎パラダイス・赤信号」「幕末太陽伝」「貸間あり」「雁の寺」がある。昭和38年6月11日死去。45歳。青森県出身。明大卒。

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367日誕生日大事典 「川島雄三」の解説

川島 雄三 (かわしま ゆうぞう)

生年月日:1918年2月4日
昭和時代の映画監督
1963年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の川島雄三の言及

【喜劇映画】より

…そうした中で,植木等主演の《ニッポン無責任時代》(1962)は,サラリーマン喜劇に属しながら,陽気なピカレスクの輝きを見せ,異彩を放つが,シリーズ化された後続の作品は平凡なものとなった。 喜劇を得意とする作家としては,〈軽薄才子〉と評された初期の市川崑が,《足にさわった女》(1952),《青春銭形平次》《愛人》(ともに1953)などで発揮したモダニズムとダンディズム,また,一見それと似た軽さを示しつつも,戦後的なニヒリズムを根本とした川島雄三の《幕末太陽伝》(1957),《貸間あり》(1959),《しとやかな獣》(1962)などの,世をすねたユーモアも忘れがたい。しかし,こうしたドライな,時として毒のある笑いは,大衆受けはしなかった。…

【幕末太陽伝】より

…1957年製作の日活映画。1944年に松竹でデビューしてから20年間に風俗喜劇,メロドラマなど各社で合計50本の作品をつくり,戯作者的な資質と才気によって〈鬼才〉ともよばれ,45歳の若さで急死した川島雄三監督の代表作であり,日本では〈異色〉の喜劇映画の名作とされる。 日本の〈現代〉を描いていけば究極的に喜劇になる,と考えていた川島雄三が,江戸古典落語の《居残り佐平次》その他の〈廓(くるわ)もの〉を素材に,時代を文久2年(1862)に設定して,勤皇と佐幕にわかれて揺れ動く武士の世界を町人の世界にからませた物語を,〈グランド・ホテル形式〉で構成,江戸の町人が武士階級に対する理想像としてつくりあげた架空の人物である佐平次(フランキー堺)と,歴史上の勤皇の志士で当時の〈太陽族〉でもあった高杉晋作(石原裕次郎)の,動乱の時代における生きざまに託して,〈現代〉を描いた傑作である。…

※「川島雄三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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