川新田村(読み)たるがわしんでんむら

日本歴史地名大系 「川新田村」の解説

川新田村
たるがわしんでんむら

[現在地名]遊佐町直世すぐせ

山崎やまざき村の北にあり、洗沢あらいざわ川中流左岸に位置する。山崎高橋家代記(飽海郡誌)に、当村は寛文二年(一六六二)の開発とある。草分は下当しもと村の源助兄弟で、初めは源助げんすけ新田と称した(遊佐町史)。貞享年間(一六八四―八八)の村組付(飽海郡誌)では高四五石余。享和三年(一八〇三)には家数一二・人数六六(「村数家数人高控帳」斎藤文書)庄内要覧によれば免四ツ五分四厘、家数一五。延享三年(一七四六)喜兵衛は植林のため吹浦ふくら西浜にしはまへの引越を願出て、翌年許された(「西浜植木縁起」佐藤文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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