市原野村(読み)いちはらのむら

日本歴史地名大系 「市原野村」の解説

市原野村
いちはらのむら

[現在地名]永源寺町市原野

高木たかぎ村の西にあり、北を蛇砂へびすな川が西流、南は布引ぬのびき山丘陵。中世には市原庄のうちで野村と称され、応永一一年(一四〇四)一一月二六日付の当地の白鳥しらとり神社蔵鰐口銘に「蒲生上郡市原庄野村」とみえる。寛永石高帳・正保郷帳では高二千二六七石余。元禄・天保両郷帳では二千九七石余と減じているが、これは枝郷の新出しんで村一七〇石を別記したためである。彦根藩領。享保五年(一七二〇)の大工高一五石(蒲生郡志)。元禄八年大洞弁天寄進帳によれば人数八三六(男四一〇・女四一七、寺社方男七・女二)。文化一〇年(一八一三)四月一二日、彦根藩主井伊直亮は領下を巡村して本村に到着、一行二一四人は本陣恩通おんつう寺に置き、一四の寺院・民家で昼食をとった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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