朝日日本歴史人物事典 「市川鰕十郎(初代)」の解説
市川鰕十郎(初代)
生年:安永6(1777)
江戸中・後期の歌舞伎役者。俳名新升。屋号播磨屋。4代目市川団蔵の門弟。市川市蔵の名で子供芝居,中芝居で修業し,23歳の冬,大坂中の芝居に立役二枚目として初舞台を踏む。おいおい昇進したが,32歳のとき師団蔵が死去。以後姓を市ノ川と改め,34歳で江戸森田座に下った。容姿,音調,技力に優れた彼は江戸の気風にも合い,実悪上上吉となる。39歳のとき7代目市川団十郎と師弟契約し,市川鰕十郎と改名。その冬帰坂,以後3代目中村歌右衛門と一座して「有職鎌倉山」の三浦荒次郎など数々の名演を残した。彼の演技があまりに憎々しく,客が物を投げつけたところ,「敵役の本望」とこれを押し戴いたという逸話がある。鰕十郎の名跡は昭和初年まで続き,6代を数えた。
(青木繁)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報