布施川(読み)ふせがわ

日本歴史地名大系 「布施川」の解説

布施川
ふせがわ

そうヶ岳に源を発して黒部市と魚津市のほぼ境界を流下する。流末の海岸近くで片貝かたかい川に合流する。小杉こすぎ谷から下流まで全長約一四キロ。両岸に開けた幅約〇・五キロ、長さ八・五キロの狭長な扇状地をもつ二級河川。年間を通しての流量は三億五〇〇〇万トンほどであるが、取水源となる流域が小さいため春の融雪期と梅雨時期が水量の大半を占め、年間を通じての水の十分な確保はむずかしい。県では昭和五四年度から水量の安定的な供給を目的とした多目的ダムの建設にとりかかり、総工費一三五億円をかけて平成四年(一九九二)八月に完成した。また昭和四三年度から県営の灌漑排水事業にとりかかり、黒部市笠破かさやぶり地先に頭首工を設け、取水施設の統合と下流用水路五二一七メートルを改修した(黒部市誌)。「北越軍談」によれば、天文二三年(一五五四)三月長尾景虎(上杉謙信)は一千八〇〇余騎で、魚津の板屋政広を攻めるため「布瀬川を渉て」進軍した。天正八年(一五八〇)四月の小川山千光寺記(遺編類纂所収千光寺文書)には千光せんこう(現魚津市)の寺領について「東ハ仏ケ岳を限、南ハ片貝之川を限、北ハ黒瀬之川水海を限、西ハ海を限、東西八里余、南北一里半(中略)此間を布施之谷と申、其中之流を布施川与申、水海も布施之水海と申候事」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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