日本歴史地名大系 「布袋野村」の解説
布袋野村
ほたいのむら
笹倉谷には、昔千軒あったと語り伝え、小字に
慶長検地郷村帳に高四七七・二七石「布袋野村」とみえるが、延宝九年(一六八一)の延高で五七三石余となった(天和元年宮津領村高帳)。布袋野はしばしば大火に見舞われ、安政六年(一八五九)の大火は村中ほとんど灰になり(熊野郡誌)、昭和四年(一九二九)の大火にも村中の半数以上が焼失した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
笹倉谷には、昔千軒あったと語り伝え、小字に
慶長検地郷村帳に高四七七・二七石「布袋野村」とみえるが、延宝九年(一六八一)の延高で五七三石余となった(天和元年宮津領村高帳)。布袋野はしばしば大火に見舞われ、安政六年(一八五九)の大火は村中ほとんど灰になり(熊野郡誌)、昭和四年(一九二九)の大火にも村中の半数以上が焼失した。
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