常通寺跡(読み)じようつうじあと

日本歴史地名大系 「常通寺跡」の解説

常通寺跡
じようつうじあと

[現在地名]高知市大膳町

大膳だいぜん町の東北部にあった。賢法山悉地院と号し、真言宗本尊千手観音。京都岩倉観勝いわくらかんしよう寺末であった。「南路志」によれば、もと岡豊おこう(現南国市)にあり、賢法山悉地院安祥あんしよう寺と称して、聖武天皇の御願によって行基が建立したという。その後退転していたが、天文三年(一五三四)長宗我部国親が再興し、仏殿・法堂・庫裏・僧堂・山門・総門・鐘楼方丈など七堂伽藍を建立。同一五年恵法印を住職とし、国親の父兼序の菩提所とし、寺名もその法号覚誉常通にちなんで常通寺としたという。その後、長宗我部氏が大高坂おおだかさ築城を始めると常通寺も石立いしたて岩戸いわどに移り、さらに山内氏入封後の寛永五年(一六二八)小高坂こだかさ村に移ったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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