平和(読み)へいわ(英語表記)peace

翻訳|peace

精選版 日本国語大辞典 「平和」の意味・読み・例文・類語

へい‐わ【平和】

〘名〙
① (形動) (━する) おだやかに、やわらぐこと。静かでのどかであること。また、そのさま。
※神道集(1358頃)一〇「兄弟の中平和にして」
※俳諧・七番日記‐文化一三年(1816)一〇月「翁忌や雁も平話な並び様」 〔春秋繁露‐循天之道〕
② 特に、戦争がなく、世の中が安穏であること。和平。
※英政如何(1868)一「平和の時に当っては、大バロン銘々城郭に閉籠りて」

ピン‐フ【平和】

〘名〙 (中国語から。「ピンホー」の変化した語) マージャンの上がり役の一つ。客風牌か数牌の対子一組と順子四組という組み合せで、両面聴で上がったもの。
※芳兵衛(1934)〈尾崎一雄〉「親の平和を上り」

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デジタル大辞泉 「平和」の意味・読み・例文・類語

へい‐わ【平和】

[名・形動]
戦争や紛争がなく、世の中がおだやかな状態にあること。また、そのさま。「世界の平和を守る」
心配やもめごとがなく、おだやかなこと。また、そのさま。「平和な暮らし」
[類語](1和平太平昌平しょうへい安寧静寧講和和戦ピース/(2安穏あんのん平静平安平穏静穏

ピンホー【平和】

《〈中国語〉》マージャンで、数牌シューパイが数の順に3個つながった組み合わせを四組と、対子トイツ一組で上がったもの。ピンフ。

ピンフ【平和】

《〈中国語〉》⇒ピンホー(平和)

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改訂新版 世界大百科事典 「平和」の意味・わかりやすい解説

平和 (へいわ)
peace

社会科学はこれまで,戦争についてほどには平和について知識を蓄積してきていない。実際,戦争の歴史は書かれても,平和の歴史が書かれることはなかった。戦争は激しい情動の源泉であるために,詩歌,文学,絵画,映画などの強いモティーフになってきたが,平和がそれらに占める位置はごくささやかなものにすぎなかった。平和とは失われて初めてその尊さがわかる類のものであり,平和のうちに暮らしているとき,ひとはことさらにそれに思いをはせることはなく,せいぜい平和ならざる他者の不幸との比較において己の平和を自覚するものなのである。その限りで〈真実の平和,それは他のところで戦争が起こっているときのことである〉(ジャック・プレベール)という皮肉な言葉には真理が含まれている。

 このように,平和はしばしば戦争の対概念としてとらえられ,それゆえ戦争のない状態が平和だとされる。このような見方は誤りではないが,戦争がなくとも平和であるとはかぎらないから,平和はそれ自体として定義される必要があろう。だがその場合注意すべきことは,平和は文化と時代によってのみか,文化の中心と周辺によってもその意味を変えるということである。それぞれの文化で平和を意味する概念を比較研究し,重点の違いによる意味の異同を整理した石田雄によれば,古代ユダヤ教のシャーロームšālômにおける正義への積極的な志向,ギリシアのエイレネeirēnēやローマのパクスpaxにおける秩序の強調,中国・日本の和平,平和および古代インドのシャーンティśāntiにおける心的状態の重視が,それぞれ平和の重要な構成契機となっている。

確かにどの文化にも平和の意味には正義,豊穣,秩序,静穏,平安のイメージが多少とも共有されている。とはいえ,一般的にいって,西洋キリスト教文明圏では正義実現のための戦いの意思(〈平和のための戦争〉)や征服によって実現された敵国に対するローマの完全支配と,もはや戦争のない状態としての秩序の維持(〈パクス・ローマーナ〉)にみられるように,平和への態度が外向的,政治的であるのに対して,東洋文明圏では逆に,憎しみをもたない心の平安といった内向的,非政治的な態度が支配的である。それは仏教におけるアヒンサーahiṃsā(〈包容力〉〈不殺生〉)に表れているし,また日本人の中世以来の民衆の平和感覚が〈現世安穏,後生善処〉(法華経)であり,よくいえば生活防衛的な,悪くいえば退行的,消極的である点にもみられよう。西洋的な平和観における正義の実現は心の平安のみか,秩序とも矛盾することがありうるが,東洋的なそれでは,逆に受動的な静寂主義へと後退するだけでなく,ときに不正義を放置する事なかれ主義に堕すおそれがあろう。それぞれに長所と短所とがあるのである。

 だが,これらの特徴は固定的にとらえられてはならない。なぜなら世界はダイナミックに変化し,したがって支配的な平和の概念も変わっていくからである。異文化間接触による平和の意味の変容がその例である。ガンディーの非暴力〈直接抵抗〉の原理の樹立と実践は,インドの平和観に支配的なアヒンサーと,不正義に対する〈否〉を教えるキリスト教の理念との接触による変容の所産であり,また不正義に力を対置させるアメリカ人の開拓精神とキリスト教文化の伝統のなかにいたM.L.キングの〈非暴力〉直接行動は,逆にガンディーの影響なしにはありえなかったであろう。これらは異文化間の正の学習結果であるが,負の学習もある。神島二郎が規定した馴成社会としての日本は,暴力のみかあらゆる紛争を嫌う〈和〉の政治文化をつくったが,その同じ日本が対外的にはしばしば驚くほど排斥的,暴力的になるのは,いわゆる〈対内道徳〉と〈対外道徳〉の二元性の問題にとどまらず,やはり近代日本の国家エリートが西洋的なパワー・ポリティクスを日本生存の方途として学んだ結果と解釈できよう。

ところで,平和の観念は時代とともに変化する。今日では,〈協定の締結pactum〉および〈戦争の不在absentia belli〉という意味でのパクスが英語のピースpeace,フランス語のペpaixなどとなって,理論的にも,実践的にも支配的な観念として世界に広まっている。ベルサイユの平和,ヤルタの平和にみられるように,外交官ないし政治家は,戦争にまでいたった国家間の特定の敵対関係を終結させるための協定締結に努力し,戦争のない状態を実現したとき,それを平和と呼ぶ。またその延長上に構想され創設されるのが,国際協力を促進し,紛争と対立を公正に解決して戦争の勃発を未然に防ぐ,平和維持組織としての国際機構(国際連盟,国際連合)である。だが,ともに本質的には戦争の勝利者の支配の所産であり,彼らにとっての平和にほかならない。そのことはこのような平和が誰の利益に寄与しているのかをみれば明らかである。それは現状維持status quoに満足し,経済的,軍事的に優越している戦争の勝利者にほかならず,彼らにとって,平和とは,戦争以上に経済的,政治的利益を有するものなのである。いいかえれば,それは文化の中心部にとっての平和であり,周辺部にとっては別の意味をもつ。アントニヌス治下に絶頂期を迎えたローマ帝国におけるパクス・ローマーナ(ローマの平和)とは,帝国の中心部にとっての内部秩序と統一であり,帝国内部の〈戦争の不在〉にすぎず,帝国内外の周辺部(奴隷やバルバロイ)にとっては正義も繁栄も意味せず,略奪,破壊,残虐行為をともなういわば搾取的なシステムであった。ローマに征服されたあとのブリタニア島の住民の皆殺しに関して述べられた,〈彼らは無人の地をつくり,これを平和と呼ぶ〉という言葉は象徴的であろう。だからこそまた,〈汝平和を欲さば,戦争にそなえよsi vis pacem,para bellum〉が,近世以降の西欧国家体系の支配的な平和概念となったのである。要するに中心部である国家の権力エリートにとって,平和とは,新たに建設したうえで維持する価値にほかならない。

 だが,周辺部である民衆にとってパクスとはまったく別の意味をもっている。I.イリッチの卓抜な見解によれば,中世ヨーロッパの民衆にとってパクスとは,領主間に戦争がないことなのではなくて,民衆が自分たちに特有の文化を維持していくのに必要最低限の物質的,精神的基盤という意味での存在(サブシステンスsubsistence)の保護であり,その土地の民衆が共有する環境の利用価値が外部の暴力的干渉によって損なわれないことであった。サブシステンスの保護は領主にとっても必要であり,それなしには領主の戦争そのものが成り立たないからである。こうしたサブシステンスの保護を第一義的な目的とする平和は,いわゆる資本主義の勃興と国民国家の建設とともに失われることになる。

現代において支配的な平和はこれらの延長線上に存在している。パクス・アトミカ(核抑止による平和)とパクス・エコノミカ(経済主義による平和)がそれである。ともに世界の中心部によって共有されている平和観といえる。パクス・アトミカは核時代における相互絶滅の恐怖が大戦争の勃発を抑止している状態を指す。その抑止力がなければ,米ソ両超大国は歴史上にしばしばみられたような,〈ポエニ戦争〉を再現したことであろう。実際には冷戦という武装平和がもたらされた。厳密にいえば米ソは互いに相手に軍事的に凌駕(りようが)されるのを恐れて,とめどもない軍備競争に駆り立てられたのである。核戦争の危険を内在させている抑止システムが不安定なゆえんである(軍拡)。加えてこれは,史上最大のポトラッチpotlatchである(G. ブートゥール)。ポトラッチとは民族学では,自己の優越を明示したいときに相互に行う贈与儀式をいう。核開発にかけられた費用と資源の巨大さを想起するならば,まさに至言といわねばならない。パクス・アトミカはまた,世界の中心部にとってのみ〈戦争の不在〉を意味するのにすぎない。第2次大戦後その原因がなんであれおびただしい数の戦争が世界の周辺部,すなわち第三世界で起こっているが,核抑止はそれらの勃発を防ぐことはできなかったことに注意すべきである。

 一方,パクス・エコノミカは,ある意味で構造的暴力,すなわち極度の貧困,非衛生的状態,政治的抑圧,文化的疎外,人種差別など社会構造そのものによって与えられる人間の身体・精神に対する侵害などの〈平和ならざる状態〉から民衆を守るものとして考えられよう。経済生活上の水準を高めることは,多少ともそれらの状態を克服するのに役立つからである。それゆえ開発=発展という観念ほど,今日,世界のいたるところに浸透しているものはない。だが開発は生産力至上主義の別称であり,人間は経済的動機によって動くものだとの仮説のもとで,国家と資本という中心部によって計画され,実行される人間生活の大規模な組織化の謂にほかならない。周辺部の民衆にとっては,サブシステンスの剝奪,環境破壊,〈シャドー・ワーク(家事労働など賃金として計算されない労働)〉を互いに相手に押しつけようとする男女間の戦争を意味する。その極北として原子力の平和利用という名の原子力開発があるが,それによって人間の食生活をささえる生業としての漁業や農業が不可能になる状況がつくられつつあるのである。今日,いずこにおいても平和の問題がエコロジーの維持との関連で考えられるのは当然だといえよう。〈暴力としての開発〉に現代人はあまりにも鈍感といわなくてはならない。

 戦後日本は非武装化を選択するとともに経済開発に専念した。確かに戦争が不可能という意味では〈平和国家〉となったといえるし,また所得の増大により,貧困の克服,教育=福祉水準の向上を相対的に実現して,人間としての自己実現の機会を高めた。だが同時に,日本の〈乱開発〉ないし〈過剰開発〉は内において民衆の自立的な生活体系を破壊したのみか,彼らを巨大な商品生産と消費の体系に統合し,それに依存させることによって個性的な生き方の可能性を奪い,外に対しては第三世界の周辺部に対する構造的暴力の主体として立ち現れているのである。この矛盾を克服するうえで不可欠なのは,内においては近代的テクノロジーが生みだした新たなサブシステンスを民衆の自立的生活の回復のために利用する方法を模索することであり,外に対しては基本的な人間の必要に寄与できるような適正技術の移転による開発の協力であろう。その点,現在注目されるべきことは,各種の非政府組織(NGO)や市民団体を媒介としたトランスナショナルな活動である(トランスナショナリズム)。そのことはまた,中心部において支配的な平和観念の問い直しを導き,周辺部の平和観念を支配的なものにさせる契機にもなろう。まことに現代における平和の問題は多次元方程式を解くほどに困難な問題になっている。
戦争 →平和研究
執筆者:

平和思想の起源は,東西の古代宗教の成立期,今から2000~3000年前とみてよい。さまざまな戒律が人間社会の無益な争いをなくし,平安をもたらすために宣言された。たとえば旧約聖書は東西の伝説同様,好戦的要素を含んでいるが,《イザヤ書》の2章4節などには強い平和への願望が見られる。さらに新約聖書の時代にいたって,平和は宗教的戒律だけでなく,人間の努力もないと可能にはならないことが教えられた。

 古代ギリシアの《戦史》を記したトゥキュディデスはスパルタの体制は臨戦的で,アテナイの体制は平和志向の体制であるとして賞賛した。プラトンは民主政を享受したソクラテスの弟子であるが,理想国家の安定を求めて,スパルタ風の階級独裁体制の共産国家を考案した。そして,その弟子アリストテレスはその考えを批判し,教育を通して穏やかな中道政治を実現する方策を主張したが,その理想はローマ帝国などの登場によって実現できなかった。

 その理想はヨーロッパ中世において,キリスト教神学の骨格として再び想起された。一方,ローマ帝国による覇権を意味する〈ローマの平和pax Romana〉はカトリック教会によるヨーロッパ中世の支配へと受け継がれた。そのなかでアウグスティヌストマス・アクイナスによって発展させられたキリスト教神学は,神を頂点とする自然法理論をもたらした。またT.モアは《ユートピア》によって,キリスト教的立場からプラトンの理想国という神政国家を批判的に受容した。

ルネサンスの知的興隆は,一方で学術を発展させ,他方で信仰の衰微をもたらした。自然法の〈神の法〉という要素はうすれ,自然法則と社会規範の峻別(しゆんべつ)の方向へ向かった。T.ホッブズH.グロティウスは国家間の戦いのもたらす災厄を救う方途を,正義と悪という区別ではなく,唯物論的自然観に基づく力学の方法で解明した。ホッブズは国家契約という力の集約による平和を,グロティウスは武力均衡と国際法による平和を説いた。これらの考え方は,C.I.C.サン・ピエールJ.J.ルソーE.deバッテルなどの集団安全保障の考えを生み,その影響で,I.カントは国際連盟の基本構想を考え出した。一方,B.deスピノザは平和の概念を拡大し,戦争のない状態にとどまらず,人間的な解放の実現した状態を平和とした。その背景には,当時〈信仰の自由〉が自由の最大の課題であったことがある。

 J.ロックはホッブズの抵抗権を革命権にまで発展させ,また宗教的寛容を説いて,近世人権思想の先駆となった。イギリスはロックの時代に名誉革命(1688)を通じて人民主権を確立した。ロックの思想がアメリカ独立と建国の指導原理となったのはよく知られている。

19世紀は国民国家の興隆と拮抗の時代であった。この時代は,国家理性を他に優先させるG.W.F.ヘーゲルの思想を生み,これがゆがめられた形でナチズムやファシズムといった軍国主義思想や自由放任の社会ダーウィニズムにつながっていった。そして,当然その批判として反国家思想も生まれた。

 K.マルクスは階級的支配の機関として国家をとらえ,その消滅が人類解放の条件と説いたが,その理論は誤って継承され,国家の永続性を前提とする社会主義的統制国家への道をひらいた。アメリカでは建国期から反国家の思想は存在したが,その代表はH.D.ソローである。彼はメキシコとの戦争や奴隷制に反対し,納税を拒否したため投獄されたこともある。ロシアではL.N.トルストイがクリミア戦争以来反戦平和を唱え,日本を含む世界中に影響を与えた。インド独立運動の指導者であったM.K.ガンディーもソローとトルストイの反戦思想を賞賛した。またアメリカの反戦思想はクエーカーメノー派などのキリスト教の運動に顕著にあらわれてきている。
良心的兵役拒否

第1次大戦以降,世界の先進国は大衆社会の方向へと進んでいった。またソ連邦という社会主義国家が誕生した。これらの動きの中で,人権の拡充が平和のひとつの条件になり得ることが示されてきた。イギリスは,人権のひとつである参政権獲得の運動の先進国であった。また国際的にはアメリカのウィルソン大統領の主唱で国際連盟が誕生したが,第2次大戦で瓦解してしまった。第2次大戦中の平和思想は反ファシズム,国家や軍隊への抵抗の中で生まれてきた。そして第2次大戦は原子爆弾の登場によって終わりを告げ,世界は核の時代に入った。

 現代の代表的な平和思想家としては,イギリスのB.A.W.ラッセルをあげることができる。彼は第1次大戦の勃発とともに平和運動に身を投じて以来,1970年の死にいたるまで半世紀以上にわたり,一貫して平和と自由のために活動し,投獄されたこともたびたびである。またラッセルは1954年にA.アインシュタインとともに〈核兵器廃絶と戦争廃止のための平和声明(ラッセル=アインシュタイン宣言)〉を出し,科学者の平和運動にも大きな影響を与えた。
パグウォッシュ会議

日本の平和思想は,その素朴な形を《古事記》《日本書紀》《万葉集》のなかに見ることができる。戦乱を倦(う)む庶民の気持ちは《万葉集》の歌によく表れている。また聖徳太子の〈十七条憲法〉のなかには〈以和為貴〉の言葉が見られるが,これは仏教精神の法的明示であるといえる。

 四方を海で囲まれた日本は,元寇を除き海外からの侵入は受けにくく,とくに江戸時代は鎖国を250年間続けることが可能であった。そのため平和思想家はあまり出ず,江戸中期の安藤昌益,末期の横井小楠がいるぐらいである。しかし明治に入り国際社会に登場し,日清・日露の両戦争を経験し,近代化と天皇制国家の建設が進むにつれて平和思想家,平和主義者が登場してきた(非戦論)。キリスト教の立場からは内村鑑三,柏木義円,社会主義の立場からは木下尚江,幸徳秋水,山川均,トルストイの影響を受けた石川三四郎,徳冨盧花,民主思想に立った吉野作造,斎藤隆夫,尾崎行雄,新聞人桐生悠々,歌人与謝野晶子,反公害運動の田中正造,宗教人の出口王仁三郎などである。

 今日の日本の平和思想の骨格は日本国憲法の精神に基づく。この憲法は民主主義と人権,そして平和主義をその根本理念としている。

日本平和学会(1973設立)編の《平和の思想》によると,今日まで人類が考え出した平和の実現策を次の9類型に分けている。(1)国家統一の強化,(2)集団安全保障(安全保障),(3)世界政府論,(4)武力均衡論,(5)道義的アピール,(6)平和教育,(7)心理的アプローチ,(8)分配の平等,(9)官僚の監視,これに,(10)として軍縮を加えた10のパターンが,相互に重なり合った形で現実には提起されている。

真に平和を実現させるものは知識でもなく思想でもない。これら知識と思想を体現した人々の影響力をもった行動であり実践である。これなくして平和思想は画餅でしかない。核におおわれた現代における人類すべてに等しく与えられた任務は,自分たちが生を受けた地球を平和で健康な姿で後世に残すことであろう。
執筆者:

平和(旧町) (へいわ)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「平和」の意味・わかりやすい解説

平和
へいわ

愛知県北西部,稲沢市中南部の旧町域。 1954年町制。 2005年稲沢市に編入。木曾川の自然堤防地帯にあり,米作のほかトマト,ミツバなど野菜栽培が行なわれる。キクを主とした花卉類,植木,苗木の栽培も盛ん。毛織物の産地であったが 1970年代の繊維不況後は減少し,縫製の下請工場などが残る。 1970年頃から住宅団地ができて,名古屋市への通勤圏に入った。

平和
へいわ
Eirēnē

ギリシアのアリストファネスの喜劇。前 421年に上演。平和を渇望するアテネの農民が,天上にのぼり,そこに幽閉されていた平和の女神を救出して地上に連れ戻す。アテネの将クレオンとスパルタの将ブラシダスがともに倒れ,ニキアスの和約が成功しようとしていたときの作。戦争のない平和の楽しさを謳歌した作品。

平和
へいわ

国際平和」のページをご覧ください。

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日本の企業がわかる事典2014-2015 「平和」の解説

平和

正式社名「株式会社平和」。英文社名「Heiwa Corporation」。機械工業。昭和35年(1960)「東和工業株式会社」設立。同39年(1964)「平和工業株式会社」に改称。同63年(1988)現在の社名に変更。本社は東京都台東区東上野。遊技機メーカー。パチンコ・パチスロ機の開発・製造を行う。ホールへの直販中心。開発力に定評。東京証券取引所第1部上場。証券コード6412。

出典 講談社日本の企業がわかる事典2014-2015について 情報

普及版 字通 「平和」の読み・字形・画数・意味

【平和】へいわ

平安。

字通「平」の項目を見る

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