改訂新版 世界大百科事典 「平和問題談話会」の意味・わかりやすい解説
平和問題談話会 (へいわもんだいだんわかい)
第2次世界大戦後,再び国際情勢が緊迫してきた1948年7月に発表されたユネスコの社会科学者による平和の訴えに示唆を受け,同年12月12日に東京青山の明治記念館に安倍能成,仁科芳雄,大内兵衛ら50余名が集い,〈戦争と平和に関する日本の科学者の声明〉を出したが,これに署名した学者が,49年初頭に東西でそれぞれ東京平和問題談話会,京都平和問題談話会を組織し,同年12月21日,東京丸の内の工業俱楽部で総会を開き,横田喜三郎,入江啓四郎を招いて討議し,〈講和問題についての声明〉をまとめ,50年1月15日付で発表,全面講和の実現を要望した。その後,研究と討論を重ね,朝鮮戦争勃発後,同年9月に〈三たび平和について〉を発表した。さらに日米安全保障条約改定問題が登場してきた59年12月,〈安保改定問題についての声明〉を出し改定を批判したが,60年安保改定が実現したのち,談話会は使命を終えて解散した。
執筆者:梅田 欽治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報