平地本宗寺領(読み)ひらちほんしゆうじりよう

日本歴史地名大系 「平地本宗寺領」の解説

平地本宗寺領
ひらちほんしゆうじりよう

[現在地名]岡崎市美合町 平地

寛永郷帳に「平地村」として本宗寺領一三石を記す。平地の名はその後、元禄・天保の各郷帳にも記載はない。ただし、慶安元年(一六四八)以降の本宗寺朱印状には馬頭ばとう村の内とあり、かつ馬頭村高には含まれていない。寺領は、土呂とろ本宗寺の替地として馬頭村内の平地山に与えられた。永禄六年(一五六三)の三河一向一揆の一拠点となった土呂の本宗寺は焼失。本宗寺の証専は当時兼務であった播州本徳寺に帰った。天正一一年(一五八三)家康生母の妹妙西尼の嘆願などで門徒赦免があり、同一三年に家康より勘気許容寺院建立沙汰が出された(三浦家文書)

<資料は省略されています>

とあり、条件として寺内の許容者を禁じている。この沙汰により、同年に馬頭野の平地山で土呂の替地を与えられている。「石川数正伝」所載の宝永八年(一七一一)年号記名の七池山光顔寺領絵図(三浦家文書)には、西が土呂のときと同じく断崖で、周囲に溝・堀をめぐらし、土塀によって囲まれた城郭伽藍形式の天正時代の古御堂跡が境内八〇間四方の中に描かれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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