平田安吉(読み)ひらた・やすきち

朝日日本歴史人物事典 「平田安吉」の解説

平田安吉

没年:明治29.7.19(1896)
生年:安政4.4.22(1857.5.15)
明治前期,山形県庄内の大地主,事業家,農事指導者。庄内藩の御用商人平田太七郎の長男として鶴岡に生まれる。平田家は代々米穀・肥料商人で,明治15(1882)年ごろから20年代に,田畑宅地を買い入れ大地主に成長した。同14年,第六十七国立銀行取締役となり,22年印刷所鶴鳴社を創設。またこの年,地主層によびかけ,西田川郡勧農会を組織し,乾田馬耕の普及や稲作技術の向上を図り,28年には同志と共に鶴岡米穀取引所を創設した。町会議員,郡会議員を務め,旧藩の保守派(御家禄派)に対して,町方勢力を結集した中心人物でもある。<参考文献>『鶴岡市史』中

(横山昭男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平田安吉」の解説

平田安吉 ひらた-やすきち

1857-1896 明治時代の農事指導者。
安政4年4月22日生まれ。家は出羽(でわ)田川郡(山形県)鶴岡の地主。地域の殖産事業をすすめ,明治22年西田川郡勧農会を組織,乾田馬耕を庄内地方に普及させ,稲作技術の発展につくした。28年鶴岡米穀取引所を設立。明治29年7月19日死去。40歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android