個人間に、あるいは集団間に、なんらの差別もない状態をいう。たとえば、法の下の平等、両性の平等、国家間の平等などがその例。この平等観念は、自由の観念とともに近代民主主義思想の内容のうちでももっとも重要な考え方の一つである。
[田中 浩]
平等観念の起源については遠くは古代ギリシアの都市国家の時代にまでさかのぼることができる。アリストテレスは、『政治学』第5章において、平等には、各人をすべて平等・対等に扱う「数の平等」と、諸個人の功績を比較の考慮に入れる「比例的平等」の2種類が存在すること、社会の安定を保つためには平等に留意すべきことを指摘し、また平等と正義の関係について、名誉、金銭、その他の事柄が平等に分配されていることを配分的正義とよんでいる。もっとも、アリストテレスは、当時における奴隷の存在を自然(当然)のこととして容認していたから、彼の平等観念は近代的意味での平等観念とはいえなかった。
次に歴史上、平等観念を大きく前進させたのは、ローマ帝国時代におけるキリスト教の普及であった。人間はすべて神の前では平等であるというキリスト教の教えは、しばしば封建諸国における世俗君主の不当な政治支配に苦しんでいた民衆の抵抗思想の原理となった。他方、君主の側もローマ教会と手を結び、君主に抵抗することは神に反抗することだと主張して民衆を抑圧するようになったため、いわゆる中世「暗黒時代」が1000年余り続いた。しかし、中世末期になって、古代ギリシアの民主主義思想がイタリアの地に復活されてルネサンス運動が起こり、またローマ教会を批判するプロテスタント(新教徒)による宗教改革運動がドイツで勃発(ぼっぱつ)すると、人間の自由と平等を主張する気運がヨーロッパ諸国に高まった。
[田中 浩]
人間は生来、自由で平等な存在として生まれたといういわゆる「自然的平等」の観念は、17、18世紀の社会契約論者たち、ホッブズ、ロック、ルソーなどによって主張された。市民階級は、この思想を武器にして、身分制的・封建的支配秩序の下にあった絶対王制を打倒し、自由・平等な諸個人の同意・契約によってつくられた民衆政府の下で安全に自由に生きる方法を確立した。これが近代国家の起源である。
近代国家成立と同時に問題となったのは、一つは政治的平等、一つは財産の平等の問題であった。政治的平等に関していえば、ピューリタン革命期に、都市の職人・徒弟、農村の小農層を中心とするレベラーズ(平等派)という政治党派が男子普通選挙権を唱え、「人民協定」Agreement of the Peopleを作成してその実現を迫ったが、革命主流派のO・クロムウェルらによって抑圧されてしまった。フランス革命期にも普通選挙権を盛り込んだ憲法草案がつくられたが、ジャコバン派の政権が短命に終わったため、これまた実現されなかった。結局、この政治的平等の問題は、その後150年以上かけて第二次世界大戦後、男女普通平等選挙権がほとんどの国々で実施されることによってようやく解決されることになる。
財産の平等化が不平等問題解決の根本問題であることを明確にした文書としてはルソーの『人間不平等起源論』(1755)がある。ルソーは、少数者が多数者を組織して物を生産させ、一部の人間が私有財産を蓄積する生産の仕組みがすべての政治的・社会的矛盾の源泉であることを鋭く指摘し、専制政治や法制度はそのような仕組みを助長しているとして、当時の絶対王制を批判し、『社会契約論』(1762)においては、個人の利益と公共の利益を同時に考慮できる市民の契約によって形成された「一般意志」を基礎に運営される民主政治の実現を主張している。市民革命期に、財産の平等を主張したものとしては、イギリスではピューリタン革命期のディガーズ派、フランスではバブーフ派などの下層民による政治党派があるが、いずれも弾圧されてしまった。そのほか、財産の平等化が政治的安定にとって必要であると考えた思想家としては、古代のアリストテレス、中世のマキャベッリ、ピューリタン革命期のハリントンなどがいる。彼らはいずれも、中産階級を主体とする政治社会が理想の社会であると考えていたが、それは、極端な富裕者階級と極端な貧困者階級をなくすという点で一種の平等思想を唱えたものといえよう。
財産平等の思想を徹底化させたのは、19世紀中葉以降のマルクス、エンゲルスらの社会主義者たちであった。彼らは、資本主義的生産方法が少数者への富の蓄積を可能にし不平等を生み出す原因であるとして、資本主義的生産方法と私有財産制を廃絶し、人民全体が生産に参加しその成果は人民全体が所有するような社会主義社会・共産主義社会の実現を主張した。この思想は、その後、1917年のロシア革命によって旧ソ連に世界最初の社会主義国家が成立したことによって現実のものとなり、第二次世界大戦後、中国、東欧諸国など、十数か国に近い社会主義国家が生まれた。しかし、1989年の「冷戦終結宣言」以降、東欧諸国が、1991年末にはソ連が崩壊して社会主義体制を放棄したため、今日では、中国、ベトナム、北朝鮮、キューバが社会主義国家として現存している。
他方、資本主義国家においても、19世紀末以降、平等化の方向は、社会保障・社会福祉の拡充という形で進められている。そこでは、自由経済を基本にしつつも、所得の再配分政策などによる弱者救済という方法を通じて富の不平等是正策がとられている。戦後の日本においても、日本国憲法のなかで、法の下の平等、両性の平等、男女普通平等選挙権の保障などが明文化されるとともに、憲法第25条においては社会権・生存権の保障が規定され、日本が福祉国家として社会保障・社会福祉の拡充・発展に努力することを国の使命として掲げている。
なお国家間の不平等については、第二次世界大戦後、主としてアジア・アフリカ地域におけるかつての植民地・従属国が独立したことによって、今日では主権平等の原則の下に各国の対等・平等の地位が確立されたが、経済的分野についてはいまだに南北間の格差は解消されず、この国家間における経済的不平等の問題は、今後の大きな課題として残されているものといえよう。
[田中 浩]
人々の相互交渉過程は、一方の人が相手に対してどんな行動をし、相手がそれにどんな行動で応じるか、それらの行動がそれぞれの人に利益ないし満足を与えるかどうかによって、その過程が成立持続し、反対に損失ないし不満を与えれば、その過程は打ち切られる(社会的交換理論)。その場合の利害得失や満足不満足の公正な基準、いいかえれば双方への利害の「分配の正義」あるいは互いに報われるものが均等である「交換の正義」をどこに求めるかによって諸説が分かれる。人はだれでも生まれながらにして同等の存在である点を重くみ、対人的交渉ないし社会的交換の結果を、各個人の能力や努力を不問にして一律均等に分配するのをよしとするのが、結果平等主義である。これに対して、得られた結果や資源の分配を一定のルールに従い各個人の努力、能力、運などに基づいて分配することを認めようとするのが、ルール平等主義である。いずれにしても利害得失の諸個人間の分配に対する平等と公正の兼ね合いは、社会生活の存続にとって重要な課題である。
[辻 正三]
『J・リース著、半沢孝麿訳『平等』(1975・福村出版)』
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出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…したがって階層論は階級論の一形態であり,階級以外に特別に階層という研究対象があると考えるのは適切でない。階級も階層も,ともに人間社会の不平等現象に関する概念化である点で変りはない。 社会階層とは,全体社会もしくは部分社会において,社会的資源ならびにその獲得機会が,人びとのあいだに不平等に分配されている社会構造状態である。…
…人は生まれながらにして平等であり,したがって万人は政治的にも社会的にも平等に扱われねばならないとする主張。人間の本性を平等とみなす普遍的信念なしに平等主義はありえないが,それだけでは十分ではない。…
…R.ピンカーは,(1)古典経済学理論,(2)マルクス主義とそれを継承した社会主義,(3)重商主義的集団主義の伝統,の三つのモデルをあげ,現実には純粋な利他主義も利己主義もありえないから,われわれはもう一度重商主義的集団主義の相互扶助の伝統を見直す必要があるとする。 福祉政策をめぐる最近の主要な論点をいくつか列挙すると,第1に,社会的公正の問題,すなわち,それを平等equalな配分と考えるか公正fairな配分と把握するか,その基礎は何かの問題がある。1960年代後半にイギリスやアメリカで現れた積極的優遇策positive discriminationは,公正な配分の考えに立っている。…
※「平等」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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