平野遼(読み)ヒラノ リョウ

20世紀日本人名事典 「平野遼」の解説

平野 遼
ヒラノ リョウ

昭和・平成期の洋画家



生年
大正14(1925)年2月8日

没年
平成4(1992)年11月24日

出生地
大分県北海部郡佐賀関町

出身地
福岡県八幡市(現・北九州市八幡東区)

本名
平野 明

学歴〔年〕
高小卒

主な受賞名〔年〕
西日本文化賞(第46回)〔昭和62年〕

経歴
17歳で軍隊に入り、野砲通信兵となる。終戦とともに北九州市に帰り、米軍基地内でポスター描きをして働く。昭和24年画家を志して上京、以後北九州と東京をひんぱんに往復。同年新制作展初入選、28年自由美術家協会展優秀賞。自由美術協会・主体美術協会会員などを経て、50年より無所属。九州、小倉を拠点に制作を続け、61年大規模な回顧展が開催された。茶を基調にした深みのある作品が多い。代表作に「昼と夜と」「裸形風景」、画文集に「地底宮殿」など。平成9年北九州市立美術館で初の個展が開催される。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平野遼」の解説

平野遼 ひらの-りょう

1927-1992 昭和後期-平成時代の洋画家。
昭和2年2月8日生まれ。独学で絵をまなぶ。昭和26年より自由美術家協会展に出品。39年主体美術協会の創立に参加するが,50年退会。平成4年11月24日死去。65歳。大分県出身。本名は明。作品に「裸形の風景」など。画文集に「地底の宮殿」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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