幸高村(読み)こうたかむら

日本歴史地名大系 「幸高村」の解説

幸高村
こうたかむら

[現在地名]須坂幸高町

現須坂市南西部。東は野辺のべ村・八町はつちよう村、東北はあい川で米持よねもち村、北は用水堰で九反田くたんだ村、西・南は井上いのうえ村と境する。ほぼ三角形の鮎川左岸扇状地。集落は西部扇端湧泉地にあり、西半分は井上村分である。集落内を南北に、北は九反田村・南は井上村への道。谷筋道は集落東方を南北に通じ、道の中央に両端に枡形を持つ約二〇〇メートルの部分がある。南部井上境道・北部鮎川沿い道は、東行して大笹おおざさ道へ通じる。西方福島ふくじま村への道もある。

東部に積石塚がある。越智おち神社は饒速日命、合殿に建御名方命を祀る。旧村社。寛永一八年(一六四一)正月卜部兼里の神道裁許状に「信濃国高井郡幸高村諏方大明神祠官山岸采女佑吉次」(山岸文書)とある諏訪社である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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