世界大百科事典(旧版)内の広東錦の言及
【絣】より
… 日本で絣織が飛躍的に発達するのは江戸時代中期以降,とくに後期から明治にかけてである。遺品のうえでは7~8世紀の法隆寺や正倉院伝世の裂(きれ)のなかに〈広東錦(カントンにしき)〉と称される絣織の存在が知られている。これらは木目(もくめ)形や人物文をつらねた多彩な絹の経絣である。…
※「広東錦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
… 日本で絣織が飛躍的に発達するのは江戸時代中期以降,とくに後期から明治にかけてである。遺品のうえでは7~8世紀の法隆寺や正倉院伝世の裂(きれ)のなかに〈広東錦(カントンにしき)〉と称される絣織の存在が知られている。これらは木目(もくめ)形や人物文をつらねた多彩な絹の経絣である。…
※「広東錦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新