広橋城跡(読み)ひろはしじようあと

日本歴史地名大系 「広橋城跡」の解説

広橋城跡
ひろはしじようあと

[現在地名]下市町大字広橋

「大和志」に「広橋村城広橋氏所拠」とあり、大正一二年刊の「吉野郡史料」には「広橋城趾ハ大字広橋ニアリ今尚天守ト称セリ然レドモ又何人ノ築ク所ヲ詳ニセズ其城趾ト称スル敷地ノ広袤二百坪許ニシテ廻ラスニ径三間深サ二間ニ及ブ溝域ヲ以テシ」と記す。

十丁じつちよう峰を後ろに控える一際高い地形をなし、内堀外堀の跡を残す頂上付近一帯は平地で、十丁峰の手前親知おやしらず付近に水源をもつ。付近には弓場ゆうば的場まとば馬場ばば馬場本ばばもと馬場先ばばさきなどの地名がある。「和州吉野旧事記」や伝承によると、筒井順慶の天正六年(一五七八)一〇月吉野攻めには、八旗荘司はじめ近郷の地侍が官上かんじよう郷広橋城に拠って強力に抵抗したとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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