庵我神社(読み)あんがじんじや

日本歴史地名大系 「庵我神社」の解説

庵我神社
あんがじんじや

[現在地名]福知山市字中 立戸

小字立戸たてど鎮座。社地は古代奄我あんが郷の中心地と考えられる場所にあり、郷内全村から見える地点である。境内は杉の大木に囲まれる。中世からひじり明神とよばれ、近世には八幡社の称が一般的に用いられた。

祭神は天穂日命・神功皇后(息長足姫命)生島神。「天田郡志資料」は応神天皇を加えて四神とする。旧村社。

「延喜式」神名帳にみえる天田郡奄我アムカノ神社」で、社名は古く「続日本紀」宝亀四年(七七三)九月二〇日条に「丹波国天田郡奄我社有盗、喫供祭物社中即去十許丈、更立社焉」とみえる。盗人が社の供物を食べて社中で死んだので、その汚れをはらうため「十許丈」を隔てて建て直したというのである。また「三代実録」貞観一四年(八七二)一一月二九日条には正六位上奄我神に従五位下が授けられたことがみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報