( 1 )「最勝王経‐七」の「大弁才天女品」などを通して早くから日本に伝わっていたとされ、吉祥天とともに女神として受容されてきた。
( 2 )平安末期以降の神仏交渉において、女神であることを共通項として、[ 二 ]のように、吉祥天などと混同され、福徳神としての性格もその際生じたと思われる。
( 3 )「三国伝記‐一〇」などに見られる伝承では、江ノ島弁才天の正体は大蛇であるとされる。
( 4 )江ノ島と竹生島・厳島を「日本三弁天」と称する。
サンスクリット名サラスバティーSarasvatīが仏教にとり入れられたもの。妙音天,美音天,大弁才天,大弁才天女などともいい,一般には弁天と略称されたり,〈べざいてん〉とも呼ばれる女神。サラスバティーの語は古代インド各地の聖河の名称であり,それら大河の偉大さを神格化した豊饒の神であったが,やがて言語,音楽,学芸の神となった。形像は,《金光明最勝王経》には八臂像が説かれ,日本最古の弁才天像である東大寺法華堂像(奈良時代,塑造),大阪孝恩寺像(平安時代,木造)はその系統の像である。多方面の技能をもち,豊かな国土を実現する弁才天に対する信仰は,日本にはすでに奈良時代に国家仏教のなかにとり入れられた。胎蔵界曼荼羅の中の像は,二臂で琵琶を奏する座像である。二臂像は鎌倉時代以降の作例が伝えられ,鎌倉鶴岡八幡宮像(鎌倉時代,木造)が著名である。この像は琵琶を弾く女神の座像で,伎楽の神としての要素が加わっている。伎楽と福徳の利益を兼ね備えた神としての信仰は,この後広まりをみせ,中世末期には七福神の一つとして,琵琶を弾く妖艶な姿を現す。また,頭に宝冠をいただき,手に宝珠や宝具を持つ八臂の女神の座像なども造られている。江戸時代には〈弁財天〉とも記されて,蓄財の神として町人をはじめ庶民の間に広く信仰されるようになった。もとの姿は蛇神であるということから,水に縁のある所にまつり,好物の卵を供えたり,蛇の彫刻を飾ったりする風習が生まれた。蓄財を祈る〈銭洗弁天〉など,信仰習俗も豊富で,己巳の日が縁日とされた。弁才天信仰はもともと仏教とともに伝来したのであるが,日本の市杵島姫(いちきしまひめ)命と習合して神社の祭神となり,水神としての神格を備えることから,池や海の水辺にまつられることが多い。特に江の島,琵琶湖の竹生(ちくぶ)島,安芸厳島(いつくしま)にまつる弁才天が,日本三弁天として有名で,これに大阪箕面(みのお)山(滝安(ろうあん)寺)を加えて四弁天ともいう。寺院には境内に鎮守神としてまつり,庶民の現世利益の祈願にこたえているところも多い。
執筆者:関口 正之+中尾 尭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
仏教における智慧(ちえ)、弁舌、技芸の女神。略して弁天。また妙音天、美音天、大弁才功徳天ともいう。サンスクリット語サラスバティーSarasvatīの訳。もとはヒンドゥー教の神。サラスバティーは「水を有するもの」を意味する女性名詞で、アーリア人が東漸するとき、各地の川をよんだ名であり、アフガニスタンのカンダハル地方の古名アラコシアもそれに由来するとされ、インダス平原やガンジス平原にもこの名の川があった。ブラーフマナ文献ではことば(バーチュVāc)の神とされ、ウパニシャッドでは音楽神とされた。ヒンドゥー教のこれらの概念を受けて仏教に弁才天を登場させたのが『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』で、弁才天はこの経を説く人や聞く人に知恵や長寿や財産を授けると述べている。その図像的表現は八臂(はっぴ)または二臂で、身色端厳で、琵琶(びわ)を持つことがある。日本では財産の神としての側面が信仰され、弁財天と書かれるようになり、また七福神の一つとされた。水辺に祀(まつ)られることが多く、また水と関係あるヘビと結び付けられることも多い。わが国の弁才天で有名なのは、滋賀県の竹生(ちくぶ)島、神奈川県の江の島、広島県の厳島(いつくしま)(宮島)のいわゆる三弁天で、このほか鎌倉の銭洗(ぜにあらい)弁天も名高い。弁才天と結び付けられる神に宇賀神(うがじん)があるが、宇賀の名がサンスクリット語ウラガuraga(ヘビ)に似るからかもしれない。
[定方 晟]
…江ノ島とも書く。神奈川県南部,相模湾岸にある小島で,藤沢市に属する。周囲約4km,面積0.38km2。第三紀の凝灰岩,砂岩を基盤としてローム層におおわれ,南岸には1923年の関東大震災の時に隆起した海食台がある。〈真白き富士の嶺(ね),緑の江の島〉と歌われたようにその風光が賞され,鎌倉と結んで湘南観光の中心地である。島の弁財天は近世期に日本の三弁天の一つとされて庶民の江の島参りが盛んであったが,明治初年の神仏分離により江島神社となった。…
…仏教が民衆生活と結びつく段階では,現世利益の観念が強く表出している。そして特別に霊験あらたかな仏菩薩が出現する日に,寺院に詣でて礼拝すれば,かならず功徳を生ずるという信仰が発達した。それが縁日で,縁とは,〈結縁(けちえん)〉または〈有縁(うえん)〉あるいは〈因縁(いんねん)〉のことで,特定の仏菩薩が,特定の日に,特別に霊験あらたかになるように信者の祈願と結びつくのである。たとえば7月10日は観音の四万六千日(しまんろくせんにち)といって,この日に参詣すれば,その功徳は,4万6000回参詣したのと同じになると説かれたりしている。…
…のちにブラーフマナ神話にいたると,同じく重要な神格である言葉の女神バーチュVācと同一視され,学問・芸術をつかさどる女神となった。仏教にも天部の一つとして取り入れられ,弁才天として崇拝されている。弁才天【吉岡 司郎】。…
…福徳をもたらす神として信仰される7神。えびす(夷,恵比須),大黒天,毘沙門天(びしやもんてん),布袋(ほてい),福禄寿,寿老人,弁才天の7神をいうが,近世には福禄寿と寿老人が同一神とされ,吉祥天もしくは猩々(しようじよう)が加えられていたこともある。福徳授与の信仰は,狂言の《夷大黒》《夷毘沙門》などにもみられ,室町時代にはすでに都市や商業の発展にともなって広まっていたものと思われる。…
…島内には浅井姫命をまつる都久夫須麻(つくぶすま)神社がある。中世以降,神仏習合により弁才天を本地仏とし,竹生島弁才天は江の島,厳(いつく)島の弁才天とともに日本三弁天の一つに数えられた。《平家物語》には,琵琶の名手として聞こえた平経正が竹生島に参詣し,戦勝を祈願して琵琶を弾じた話がみえる。…
※「弁才天」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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