20世紀日本人名事典 「弁開凧次郎」の解説 弁開 凧次郎ベンカイ タコジロウ 明治・大正期の牛馬商,獣医 オトシベツ・コタン総代。 生年弘化4年6月(1847年) 没年大正13(1924)年10月23日 出生地蝦夷地渡島国オトシベツ・コタン(北海道八雲町) 経歴オトシベツ・コタンの有力なアイヌ人の子として生まれ、22歳で同地のサパネクル(村総代)となる。牛馬商を業とし、獣医としても活躍。狩猟にも秀で、和人の開拓地に侵入した熊などをよく退治したと言われている。明治33年皇太子(のちの大正天皇)に小熊2頭を献上するため上京、この時に撮影された民俗正装の彼の写真が小学地理の教科書に掲載された。35年陸軍の八甲田山遭難事件の際には、その寒冷地での強さを買われて、遭難者の捜索に協力した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「弁開凧次郎」の解説 弁開凧次郎 べんかい-たこじろう 1847-1924 明治-大正時代の家畜商。弘化(こうか)4年6月生まれ。蝦夷(えぞ)地渡島(おしま)地方落部(おとしべ)コタン(北海道八雲町)の人。明治33年皇太子(大正天皇)に子グマ2頭をおくり,そのときの正装姿が小学校教科書にアイヌ風俗としてのる。また35年陸軍の八甲田山遭難事件の捜索に協力した。大正13年10月23日死去。78歳。アイヌ名はエカシバ。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by