弘井庄(読み)ひろいのしよう

日本歴史地名大系 「弘井庄」の解説

弘井庄
ひろいのしよう

武庫むこ川下流右岸、武庫郡西条条里の四条から五条の南辺に八松やつまつ野田のだ今津いまづ船江ふなえなどの地名がみえ(建暦三年一一月二八日「僧蓮意田地去状」大徳寺文書など)近世鳴尾なるお村から今津村付近にかけてあったとみられる。広井とも書く。当初摂関家(近衛家)領で、室町時代に京都東福寺海蔵かいぞう院領となる。建長五年(一二五三)一〇月二一日の近衛家所領目録(近衛家文書)に「摂津国弘井庄」がみえ、京極殿堂領とあることから、一一世紀後期の摂政・関白藤原師実の時に摂関家領となったことがわかる。平安時代末―鎌倉時代初期には摂関家の春日参詣などに食料を調進しており、仁平三年(一一五三)九月に予定された氏長者藤原頼長の春日参詣の出発日に「屯食三具」を(「台記別記」同年八月八日条)、建久八年(一一九七)一〇月の関白近衛基通の春日参詣には飯二〇〇果を(「猪隈関白記」同月五日条)、正治二年(一二〇〇)の春日祭にも前駆の饗三〇前を負担している(同書同年正月一〇日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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