後水尾天皇(読み)ゴミズノオテンノウ

デジタル大辞泉 「後水尾天皇」の意味・読み・例文・類語

ごみずのお‐てんのう〔ゴみづのをテンワウ〕【後水尾天皇】

[1596~1680]第108代天皇在位、1611~1629。後陽成天皇の第3皇子。名は政仁ことひと禁中並公家諸法度制定などによる幕府圧迫に対する不満から明正天皇譲位、その後4代にわたって院政を執った。学問詩歌を好み、洛北修学院離宮造営歌集「鴎巣集」がある。

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精選版 日本国語大辞典 「後水尾天皇」の意味・読み・例文・類語

ごみずのお‐てんのうゴみづのをテンワウ【後水尾天皇】

  1. 第一〇八代天皇。後陽成天皇の皇子。母は中和門院前子(さきこ)。幼名三宮、のち政仁(ことひと)。慶長一六年(一六一一)即位。在位一八年。禁中並公家諸法度の制定・紫衣事件など幕府の朝廷に対する圧迫の不満や灸治のため、中宮和子(二代将軍徳川秀忠の娘)所生の明正天皇に譲位し、以後、天皇三代、約二七年間院政を行なう。慶安四年(一六五一)剃髪し、円浄と称した。学を好み、詩歌にすぐれ、歌集に「鴎巣集(おうそうしゅう)」がある。また、修学院離宮を造営した。慶長元~延宝八年(一五九六‐一六八〇

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「後水尾天皇」の意味・わかりやすい解説

後水尾天皇
ごみずのおてんのう
(1596―1680)

第108代の天皇(在位1611~29)。名を政仁(ことひと)、幼称を三宮といい、法名を円浄という。母は太政(だいじょう)大臣近衛前久(このえさきひさ)の娘、中和門院藤原前子(さきこ)で、後陽成(ごようぜい)天皇の第3皇子として生まれる。1600年(慶長5)親王宣下、1610年元服、翌年16歳で即位した。1620年(元和6)2代将軍徳川秀忠(ひでただ)の娘和子(かずこ)を女御(にょうご)とし、1624年(寛永1)皇后宣下して中宮(ちゅうぐう)に冊立。武家出身の中宮は、平清盛(きよもり)の娘徳子(建礼門院)以来の異例のできごとであった。こうした幕権を背景とした徳川氏の朝廷抑圧は、「禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)」(禁中并公家中諸法度)の制定や、紫衣(しえ)事件などを通してしだいに激しくなっていった。これを不満として、1629年わずか7歳の興子(おきこ)内親王(明正(めいしょう)天皇)に位を譲り、自らは院政を敷いた。その期間は明正、後光明(ごこうみょう)、後西(ごさい)、霊元(れいげん)の4代51年に及んでいる。また、天皇は学問・芸術にも関心深く、さまざまな文化活動を行った。俳名を玉露といい、詩歌・連歌をよくした。御集に『鴎巣(おうそう)集』がある。このほか、天皇の造営にかかる洛北(らくほく)の修学院(しゅがくいん)離宮は日本屈指の名園。延宝(えんぽう)8年8月19日、85歳で没。陵は京都市東山区今熊野泉山町の月輪陵

[佐々悦久]

『熊倉功夫著『後水尾院』(1982・朝日新聞社)』


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改訂新版 世界大百科事典 「後水尾天皇」の意味・わかりやすい解説

後水尾天皇 (ごみずのおてんのう)
生没年:1596-1680(慶長1-延宝8)

第108代に数えられる天皇。在位1611-29年。諱(いみな)は政仁(ことひと)。後陽成天皇の第3皇子。母は中和門院近衛前子。1611年(慶長16)後陽成天皇のあとをうけて即位。20年(元和6)将軍徳川秀忠の女和子(まさこ)を女御とし,24年(寛永1)中宮とした。のちの東福門院がこれで,外戚となった徳川氏は皇居を造営し,1623年には新たに1万石の御料を進める(〈新御料〉)など尊崇の意を表しながらも,禁中並公家諸法度(1615制定)や所司代,付武家などを通して種々の干渉を加えた。ことに27年の紫衣(しえ)事件は朝廷の面目を完全につぶすものであったのみならず,29年には将軍家光の乳母福(春日局)が無位無官の身で拝謁するという前例のないことが敢行され,積年の幕府に対する天皇の不満を爆発させる契機となり,同年11月8日,突如,和子所生の興子内親王(明正天皇)に譲位。在位18年,明正・後光明・後西・霊元の4天皇,51年にわたり院政をしいた。51年(慶安4)剃髪。法名は円浄。学問を好み,智仁親王烏丸光広,中院通村らに《伊勢物語》《源氏物語》《古今和歌集》《詠歌大概》などを進講させ,ときにみずからも廷臣に講義し,《伊勢物語御抄》などを著作。1621年には勅して《皇宗(こうそう)事宝類苑》を刊行させ廷臣や学者らに与えた。和歌,連歌を好み,古今伝授を智仁親王より受け,歌集を《鷗巣(おうそう)集》といい,俳名を玉露と称する。修学院離宮の造営でも知られる。
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百科事典マイペディア 「後水尾天皇」の意味・わかりやすい解説

後水尾天皇【ごみずのおてんのう】

江戸初期の天皇。後陽成天皇の第3皇子。中宮は徳川秀忠の女(むすめ)和子(まさこ)(のちの東福門院)。1611年即位。以後,禁中並公家諸法度の制定(1615年),所司代などを通じての干渉に加え,幕府の法が天皇の勅許に優越することを見せつけた紫衣事件,前例を無視した春日局の無位無官の身での拝謁強行などによって幕府への不満が爆発,1629年突如譲位。明正・後光明・後西・霊元の4代にわたり院政を行う。学問,詩歌に深い造詣(ぞうけい)を示し,智仁親王,烏丸光広らの《伊勢物語》《源氏物語》などの進講を受け,《伊勢物語御抄》などを著し,古今伝授を受ける。叙景歌にすぐれ,歌集に《鴎巣(おうそう)集》がある。修学院離宮を造営したことでも知られる。
→関連項目勅版徳川家康

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朝日日本歴史人物事典 「後水尾天皇」の解説

後水尾天皇

没年:延宝8.8.19(1680.9.12)
生年:慶長1.6.4(1596.6.29)
江戸前期の天皇。後陽成天皇第3皇子,三宮。母は関白近衛前久の娘前子(中和門院)。諱は政仁。慶長5(1600)年12月21日親王宣下,16年3月27日践祚,同年4月12日即位。元和6(1620)年6月18日,将軍徳川秀忠の娘和子を女御として迎え,同9年11月の女一宮誕生をはじめ寛永6(1629)年までに3皇女,2皇子をもうけた。同年11月8日突然に女一宮興子内親王(明正天皇)へ譲位。女帝への譲位は一代でその血統が絶えるため,女御所生の皇子への譲位をもくろむ徳川幕府には手痛い打撃であった。譲位の原因は,天皇の腫物灸治,朝廷への武家介入や紫衣事件(1627~29),春日局参内に対する憤懣のほか,徳川氏の孫が即位するまで女御所生の子以外がおし殺されていたことも原因とする見方もある。天皇の在位期は幕府体制確立の過渡期にあり,朝廷を包摂した新たな朝幕関係確立を目指す幕府は,元和1年「禁中並公家諸法度」を制定,摂家,武家伝奏を通じた朝廷支配を強化した時期である。譲位により,上皇の立場から新たな朝廷秩序を目指したとも考えられる。譲位後,院にあること52年。宮廷を中心とした文芸復興の機運のなか,近臣公家,禅僧による学問講や和歌,漢和聯句,立花の会を主催した。歌学においては智仁親王,三条西実条,烏丸光広,中院通村に師事し,寛永2年智仁親王から古今伝授を受けた。のちに宮廷歌壇の最高指導者として稽古会,古典講釈を催し,後継の親王,公卿に古今伝授を行い御所伝授による宮廷歌壇を確立。歌集『鴎巣集』がある。宮廷文化,朝儀復興に強い意欲を示し『当時年中行事』の著書がある。また仏道にも帰依,特に禅宗の一糸文守に傾倒し,慶安4(1651)年落飾。法名円浄。京都泉涌寺内の月輪陵に葬られる。修学院離宮は後水尾の造営。<参考文献>熊倉功夫『後水尾院』,同『寛永文化の研究』,辻達也他編『日本の近世2 天皇と将軍』

(母利美和)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後水尾天皇」の解説

後水尾天皇 ごみずのおてんのう

1596-1680 江戸時代前期,第108代天皇。在位1611-29。
文禄(ぶんろく)5年6月4日生まれ。後陽成(ごようぜい)天皇の第3皇子。母は藤原前子(さきこ)(中和門院)。16歳で即位。徳川幕府の体制確立期で,徳川秀忠の娘和子が入内(じゅだい)。朝廷の権限は禁中並公家諸法度で規制された。紫衣(しえ)事件などを機に譲位し,以後明正(めいしょう)・後光明(ごこうみょう)・後西(ごさい)・霊元(れいげん)天皇の4代にわたって院政をとる。和歌,漢詩,書道,茶道などに長じた。修学院離宮を造営。延宝8年8月19日死去。85歳。墓所は月輪陵(つきのわのみささぎ)(京都市東山区)。諱(いみな)は政仁(ことひと)。法名は円浄。歌集に「鴎巣(おうそう)集」,著作に「当時年中行事」など。
【格言など】いかにしてこの身一つをたださまし国を治むる道はなくとも(「後水尾院御集」)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「後水尾天皇」の意味・わかりやすい解説

後水尾天皇
ごみずのおてんのう

[生]慶長1(1596).6.4. 京都
[没]延宝8(1680).8.19. 京都
第 108代の天皇 (在位 1611~29) 。名は政仁 (ことひと) ,幼称は三宮,法名は円浄という。後陽成天皇の第3皇子。母は中和門院藤原前子 (太政大臣近衛前久の娘) 。慶長 16 (11) 年受禅,即位した。元和6 (20) 年将軍徳川秀忠の娘和子を女御とし,寛永1 (24) 年皇后宣下,中宮とした。しかし朝廷に対する幕府の圧迫が激しいため,同6年中宮和子所生のわずか7歳の興子内親王 (明正天皇) に譲位し,以後明正,後光明,後西,霊元天皇の4代にわたって院政を行なった。慶安4 (51) 年剃髪。学問を好み,詩歌にすぐれ,歌集『後水尾院御集』 (原名『鴎巣集』) がある。修学院離宮は天皇の造営にかかるものとして有名である。陵墓は京都市東山区今熊野泉山町の月輪陵。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「後水尾天皇」の解説

後水尾天皇
ごみずのおてんのう

1596.6.4~1680.8.19

在位1611.3.27~29.11.8

後陽成(ごようぜい)天皇の第3皇子。名は政仁(ことひと)。母は近衛前久(さきひさ)の女中和門院前子。幼称三宮。1600年(慶長5)12月親王宣下。20年(元和6)6月将軍徳川秀忠の女和子(東福門院)を女御(にょうご)とした。その後紫衣(しえ)事件など幕府の朝廷干渉への反発もあり,29年(寛永6)11月にわかに譲位。51年(慶安4)5月落飾して法名を円浄と称した。禅宗に傾倒し,一糸文守(いっしもんじゅ)ら禅僧に深く帰依した。和歌や書などの学芸にもすぐれ,古今伝授の継承や,修学院離宮の造営など,宮廷文化繁栄の中心的役割をはたした。

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旺文社日本史事典 三訂版 「後水尾天皇」の解説

後水尾天皇
ごみずのおてんのう

1596〜1680
江戸前期の天皇(在位1611〜29)
後陽成天皇の皇子。禁中並公家諸法度・紫衣事件などによる幕府の干渉・圧迫に不満で,1629年中宮和子(将軍徳川秀忠の娘)との間に生まれた皇女明正天皇に譲位,以後51年間院政を行った。晩年に修学院離宮を造営。

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367日誕生日大事典 「後水尾天皇」の解説

後水尾天皇 (ごみずのおてんのう)

生年月日:1596年6月4日
江戸時代前期の第108代の天皇
1680年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の後水尾天皇の言及

【いけばな】より

…初期の立花が花瓶も小型で1mに足らぬものであったものが,江戸初期には2mに近い大きさのものとなる。立花(りつか)を大成させたのは2世専好で,ことに寛永期(1624‐44)には後水尾天皇の庇護を受け,立花を特に愛し,その心得もあった天皇によって,しばしば立花の会が催された。享保期(1716‐36)の近衛予楽院(家熙)の《槐記(かいき)》によれば,〈凡そ立花の中興は専好に止まりたり 専好を名人とす〉とあり,また後水尾天皇の立花の会については,〈紫宸殿より庭上南門まで,双方に仮屋を打ちて出家町人にかぎらず,其事に秀たる者は皆立花させて双(なら)べられたり〉とあって,その壮観がしのばれる。…

【一糸文守】より

…江戸前期の臨済の名僧。〈いっしぶんしゅ〉とも読む。文守は公家の出身で,はじめ堺の南宗寺の沢庵宗彭に師事し,ついで妙心寺の愚堂東寔(ぐどうとうしよく)の法をついだ。彼は,生涯を一貫して,幕府の権勢におもねる禅宗界の趨勢を嫌い,栄利を求めず,孤高にして気韻ある隠者の禅をめざした。この彼の禅の高潔さは,かえって後水尾上皇の知遇をえる契機となり,東福門院,皇女梅宮,近衛信尋,烏丸光広など上皇側近の宮廷貴族があいついで彼に帰依した。…

【円通寺】より

…京都市左京区にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は大悲山。後水尾上皇は修学院離宮を造営する以前に,洛北に幡枝(はたえだ)御茶屋と呼ばれた山荘を営んだ。当寺は,この山荘の御殿を,霊元天皇の乳母であった円光院文英尼が1678年(延宝6)禅寺に改めたものである。叡山借景で有名な枯山水の庭は,この山荘の庭を利用したもので,四十数個の石を組み,その石組に刈り込んだ低い丸ツツジを配し,庭全体をもとは白砂,現在はスギゴケで覆っている。…

※「後水尾天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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