朝日日本歴史人物事典 「後藤恕作」の解説
後藤恕作
生年:安政5.3(1858)
明治大正期の民間毛織物業の先導者。播磨国(兵庫県)揖東郡網干村生まれ。明治初年に大阪,神戸で外国商館や蓬莱社に勤務し,東京に転じたのち,明治8(1875)年に森有礼に伴われて清国に行き,北京で毛織染色法を修めた。帰国後,多くの苦難のなか,毛織物製織に邁進し,初の民間毛織物工場である後藤毛織製造所を設立。同製造所は,14年の内国勧業博覧会で技術力を認められながらも,最初は経営難が続いたが,日清・日露戦争期には業績を躍進させた。民間毛織物業の揺籃期に果たした後藤の役割は大きい。36年に同製造所は三井に売却されたが,後藤は中島銀行の援助で島田毛織製造所を設立,同社は40年に後藤毛織と改称,第1次大戦期の好況期に東京毛織物,東京製絨と合併して東京毛織となった。その後,関東大震災時に東京工場が全焼し,不況期には毛織物市況の悪化に苦しんだが,屈せず毛織物業の改良発達に努め,昭和3(1928)年実業功労者として緑綬褒章を受章。<参考文献>『後藤恕作履歴書』(『公文雑纂』),『東洋経済新報』91,92,150号
(松本貴典)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報