後面村(読み)ごめんむら

日本歴史地名大系 「後面村」の解説

後面村
ごめんむら

[現在地名]南国市後免ごめん町一―四丁目

香長かちよう平野のほぼ中央部に位置し、早くから開発された地で、古くは稲吉いなよし村と称した。康永二年(一三四三)七月一二日の足利尊氏の五台山吸江ぎゆうこう(現高知市)への寄進状(吸江寺文書)に「土佐国稲吉村地頭職事」と村名がみえる。おおそね郷の北部を占める地であった。天正一六年(一五八八)の大郷地検帳に「稲吉」とあり、検地面積二二町八反余。大部分は長宗我部氏一門の広井氏の所領で、それを農民耕作、一九筆の居屋敷もほとんど農民の居住となっている。

近世初期、執政野中兼山の商業振興策の一環として当村東北部の開発が進められ、開発地を中心に後面町が成立した。この後面町が諸役御免の地であったためか、また稲吉村の地もすべて後面町と称したのかつまびらかでないが、稲吉村の名は近世の郷帳類にはみえない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android