御影村(読み)みかげむら

日本歴史地名大系 「御影村」の解説

御影村
みかげむら

[現在地名]東灘区御影本町みかげほんまち一―八丁目・御影中町みかげなかまち一―八丁目・御影町御影・御影山手みかげやまて一丁目

大阪湾に面する沖積地に位置し、村内を山陽道が横断する。御影の松は古くから雀松原すずめのまつばらとともに海辺の名所になっており、平安時代の「基俊集」に「世にあらばまた帰りこん津の国のみかげの松よおもがはりすな」がある。「源平盛衰記」巻一七では徳大寺実定福原ふくはらから京へ帰る途中訪れた名所の一つに「みかげの松」をあげる。「太平記」巻二九によると、観応の擾乱の際、観応二年(一三五一)二月一七日夜、足利尊氏・高師直軍二万余騎が御影浜に押寄せ、足利直義方と合戦があったという。「細川両家記」によると、天文一八年(一五四九)八月二四日、三好長慶は伊丹城を攻めるため御影塚に三好方衆を配備している。天正六年(一五七八)一一月には滝川一益らは荒木村重攻略のため「三陰ノ宿」に陣取ったという(「信長公記」同年一一月二七日条)。当地は都賀とが庄に含まれており、永正一七年(一五二〇)九月三日の都賀庄下司名年貢納帳(天城文書)に「ミカケ」の兵ヘ四郎衛門などがみえる。

御影村
みかげむら

[現在地名]上川郡清水町御影本通みかげほんどおり御影東一条みかげひがしいちじよう御影東二条みかげひがしにじよう御影東三条みかげひがしさんじよう御影東四条みかげひがしよじよう御影東五条みかげひがしごじよう御影東六条みかげひがしろくじよう御影東七条みかげひがしななじよう御影東八条みかげひがしはちじよう御影西一条みかげにしいちじよう御影西二条みかげにしにじよう御影西三条みかげにしさんじよう御影東一条南みかげひがしいちじようみなみ御影東二条南みかげひがしにじようみなみ御影東三条南みかげひがしさんじようみなみ・字御影・字羽帯はおび・字旭山あさひやま河西かさい芽室めむろ上芽室かみめむろ上芽室基線かみめむろきせん上芽室北かみめむろきた上芽室東かみめむろひがし上芽室南かみめむろみなみ渋山しぶさん新朝日しんあさひ

大正一〇年(一九二一)から昭和三一年(一九五六)まで存続した河西郡の自治体。大正一〇年四月河西芽室(現芽室町)から大字羽帯村はおびむらと大字芽室村めむろむらのうち御影地区・上芽室地区・渋山地区・旭山地区が分離し、二級町村制を施行して成立。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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