朝日日本歴史人物事典 「御法川直三郎」の解説
御法川直三郎
生年:安政3.7.13(1856.8.13)
明治大正期の製糸機械の発明家。出羽国秋田城下の士族の家に生まれる。若いころ,地元や福島県で養蚕・蚕種製造に従事。明治20(1887)年に西ケ原蚕病試験場を修了したころから発明の天分を現し,以後製糸機械を中心に次々に重要な発明を行った。36,37年には早くも多条繰糸機を発明したが,これが実用化したのは,大正11(1922)年に片倉製糸が採用してからのことであった。片倉製糸は御法川式多条機により最高級格生糸を昭和5(1930)年ごろに一時独占的に生産し,これはミノリカワ・ローシルクとしてニューヨーク生糸市場に名を轟かせた。発明以外にはほとんど趣味がないというほどの発明の虫であったが,晩年には養蚕農民の立場に立った「製糸業革新意見」を述べており,自らの発明の社会的意味にも並々ならぬ関心を寄せていたことを窺わせる。<参考文献>丹羽四郎編『御法川直三郎翁自伝』,同『御法川直三郎翁とその事蹟』
(松村敏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報