徳川家重(読み)トクガワイエシゲ

デジタル大辞泉 「徳川家重」の意味・読み・例文・類語

とくがわ‐いえしげ〔トクがはいへしげ〕【徳川家重】

[1712~1761]江戸幕府第9代将軍在職1745~1760。吉宗長男生来病弱のため政務に耐えられず、側用人大岡忠光権勢を振るった。

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精選版 日本国語大辞典 「徳川家重」の意味・読み・例文・類語

とくがわ‐いえしげ【徳川家重】

  1. 江戸幕府第九代将軍。吉宗の長男。幼名長福丸。延享二年(一七四五)将軍となる。生来虚弱のうえ言語に明瞭さを欠いたため政務に耐えず、側用人大岡忠光が権勢をふるった。正徳元~宝暦一一年(一七一一‐六一

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改訂新版 世界大百科事典 「徳川家重」の意味・わかりやすい解説

徳川家重 (とくがわいえしげ)
生没年:1711-61(正徳1-宝暦11)

江戸幕府9代将軍。8代将軍吉宗の長子。1745年(延享2)父の譲りを受けて将軍となる。生来虚弱のうえ,若くから大奥婦女を相手に酒宴にふける生活を続けて健康を害し,やがて言語も不明瞭となり,わずかに側用人大岡忠光のみ聞き分けることができたという。60年(宝暦10)職を嫡子家治に譲り,翌年没した。享保改革余光で幕府財政は表面的には安定の様相を呈していたが,社会の底流は新時代への大きな転機にあった。
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百科事典マイペディア 「徳川家重」の意味・わかりやすい解説

徳川家重【とくがわいえしげ】

江戸幕府9代将軍(在位1745年―1760年)。8代吉宗の子。幼名長福丸。諡号(しごう)惇信院。生来病弱で言語に障害があったといわれ,側用人大岡忠光が良く補佐幕政は表面的には安定した時期であった。
→関連項目清水家

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「徳川家重」の解説

徳川家重
とくがわいえしげ

1711.12.21~61.6.12

江戸幕府9代将軍(在職1745.11.2~60.5.13)。8代吉宗の長男。母は側室深徳院。弟に御三卿田安家の始祖宗武(むねたけ),一橋家の始祖宗尹(むねただ)がいる。幼名長福丸。法号惇信院。1724年(享保9)世子。45年(延享2)将軍職を継いだ。生来病弱で若い頃から酒色にふけり,健康を損ない言語機能に障害もあった。小姓の大岡忠光のみがその意を解し,側用人にまで出世した。ただ家重は「将棋考格」の著作もなしたほどの将棋上手だったという。在世中は享保の改革の延長で表面上,幕府財政は安定していたが,全国各地で百姓一揆が頻発。60年(宝暦10)長男家治(いえはる)に将軍職を譲り,翌年没した。

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朝日日本歴史人物事典 「徳川家重」の解説

徳川家重

没年:宝暦11.6.12(1761.7.13)
生年:正徳1.12.21(1712.1.28)
江戸幕府9代将軍。8代将軍吉宗の長子。生母は大久保氏の娘おすま(深徳院)。幼名長福。紀伊国和歌山に生まれ,父が紀州家から将軍家を継ぐのに伴い江戸城に移り,世嗣となり,室鳩巣らの教育を受ける。延享2(1745)年9月継統,11月将軍宣下。在位16年にして世嗣家治に代を譲り,翌年死去。増上寺に葬る。諡号惇信院。病弱で,政治は老中松平武元らに任せきりであった。日ごろ大奥にいることが多く,その言行を知る人は稀であったという。また言語に障害があり,側衆の大岡忠光のみがこれを解したといわれている。<参考文献>「惇信院殿御実紀附録」(『徳川実紀』9編)

(松尾美恵子)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「徳川家重」の意味・わかりやすい解説

徳川家重
とくがわいえしげ
(1711―1761)

江戸幕府第9代将軍。8代将軍吉宗(よしむね)の長子。生母は側室大久保氏、おすまの方。幼名長福。1745年(延享2)父の譲りを受けて将軍となる。生まれつき虚弱のうえ、若くから大奥の婦女を相手に酒宴にふける生活を続け、健康を害し、やがて言語も不明瞭(めいりょう)となり、わずかに側用人(そばようにん)大岡忠光(ただみつ)のみ聞き分けることができたという。1760年(宝暦10)職を嫡子家治(いえはる)に譲り、翌年没した。法号を惇信院(じゅんしんいん)という。家重の代は、享保(きょうほう)の改革の余光で幕府財政は表面上安定の様相を呈していたが、社会の底流には新しい時代への転機があった。

[辻 達也]


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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「徳川家重」の解説

徳川家重 とくがわ-いえしげ

1712*-1761 江戸幕府9代将軍。在職1745-60。
正徳(しょうとく)元年12月21日生まれ。徳川吉宗(よしむね)の長男。母はお須摩(磨)の方(深徳院)。延享2年将軍となる。体がよわく,言語も不明瞭で,側用人(そばようにん)の大岡忠光(ただみつ)しかその言葉をききとれなかったという。宝暦11年6月12日死去。51歳。幼名は長福。法号は惇信院。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「徳川家重」の意味・わかりやすい解説

徳川家重
とくがわいえしげ

[生]正徳1(1711).12.21. 江戸
[没]宝暦11(1761).6.12. 江戸
江戸幕府9代将軍 (在職 1745~60) 。吉宗の長男。母は大久保忠旧の娘。幼名は長福丸。院号は惇信院。延享2 (45) 年 11月2日将軍宣下。生来虚弱なうえ暗愚であったため吉宗が後見したが,のち大岡忠光が言語不明瞭となった家重の側用人として活躍。

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旺文社日本史事典 三訂版 「徳川家重」の解説

徳川家重
とくがわいえしげ

1711〜61
江戸幕府9代将軍(在職1745〜60)
8代将軍吉宗の長男。吉宗は引退後も大御所として家重を後見。家重は政務に無関心で,また言語不明瞭であったため,その意を解する側用人大岡忠光が重用された。

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367日誕生日大事典 「徳川家重」の解説

徳川家重 (とくがわいえしげ)

生年月日:1711年12月21日
江戸時代中期の江戸幕府第9代の将軍
1761年没

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世界大百科事典(旧版)内の徳川家重の言及

【大岡忠光】より

…大岡忠相の同族大番士忠利(300石)の長子。世嗣徳川家重の小姓となり,のち家重が9代将軍になるとしだいに重用され,1754年若年寄,56年側用人となり,この間加増されて武州岩槻2万3000石の領主となる。家重の信頼とくに厚く権勢を集めるが,おごることがなかったといわれる。…

※「徳川家重」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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