忌部村(読み)いんべむら

日本歴史地名大系 「忌部村」の解説

忌部村
いんべむら

[現在地名]橿原市忌部町

曾我川両岸にわたり、南は雲梯うなて村。忌部氏の本拠地と伝える。「日本書紀」神代巻などによれば同氏は太玉命の後裔で、中臣氏とともに朝廷祭祀をつかさどり、鏡・玉などの祭器を造ることをも職掌とした。「日本書紀」天武天皇九年正月八日条、同一三年一二月二日条によると連・宿禰などの姓を得、「三代実録」貞観一一年(八六九)一〇月二九日条に、忌部の姓を斎部と改めたことを記す。平安時代に入って藤原氏の隆盛により衰退したが、大同元年(八〇六)中臣氏と対等たるべきことを主張(日本後紀)、中臣氏との勢力争いのなかで斎部広成が「古語拾遺」を著した。

永仁二年(一二九四)の大仏灯油料田記録に「五段インヘ 本地子三石九斗内」とあり、西大寺田園目録の「高市郡北郷西廿六条(中略)四里廿四坪北、字ミカノコウタ」の条里は当村に相当、小字ミカノコも残る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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