第15代に数えられる天皇。仲哀天皇の皇子,母は息長足姫(おきながたらしひめ)(神功皇后)。諱(いみな)は誉田別(ほんだわけ)という。ただ《古事記》には,大鞆和気(おおともわけ)ともあり,胎中(たいちゆう)天皇とも称された。《日本書紀》によると,仲哀天皇は西征のさなかに没し,皇后が三韓に遠征したさいにはすでに胎内にあり,遠征から帰ったのち,筑紫で生まれたという。中央にかえり,皇后の摂政のもとで,皇太子となり,皇后の没後,はじめて即位し,大和国高市郡軽島(豊)明宮に居した。応神朝では,武内宿禰(たけうちのすくね)が前代からの勢力を保っているが,天皇にかかわる国内記事として,妃の兄媛(吉備氏の祖御友別の妹)とともに吉備に幸し,御友別の兄弟子孫の功に報い,吉備国を5県に分かち,それぞれを封じたという。対外記事としては,百済から弓月君(秦氏の祖),阿直岐(あちき)(漢(あや)氏の祖),王仁(わに)(河内書(ふみ)氏の祖)らが来朝したとあるなど,帰化人のはじめての渡来を記録している。そののち,天皇の皇子菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)を日嗣(太子)とし,大山守命に山川林野をつかさどらせ,大鷦鷯(おおささぎ)尊を太子の輔として,国事を分担させたという。治世41年にわたり,豊明宮(一説に摂津の大隅宮)に没した。《古事記》や《延喜式》には,その陵は河内国志紀郡恵我藻伏崗にあると記し,現在の大阪府羽曳野市誉田の陵(応神陵)に比定される。記紀の記述をみると,仲哀天皇までと違って,応神天皇からは諱が記されているなど,原帝紀に記載されていた可能性がつよく,現実性あるものとみなされ,《宋書》の倭の五王のはじめの讃(さん)を応神か仁徳にあてる説もあり,また応神紀の外交記事をみると,干支二運(120年)を下げれば,実際の年紀に一致するなど,絶対年代を4世紀末から5世紀はじめにあてる説が有力である。なお陵はもとより,宮も河内に多いので,これを河内に成立した王朝とみる説もある。
執筆者:平野 邦雄
母,神功皇后は天照大神と住吉大神の神託によって朝鮮半島を平定したと語られる巫女的性格の女性。天皇は,受胎後,母の半島平定中ずっと胎中にあり,帰国した北九州で誕生,後に空船(むなぶね)に乗って難波に漂着する。その後重臣の武内宿禰に伴われて敦賀に禊(みそぎ)し,気比(けひ)大神に名を賜って大和に帰り,母の献酒を受け,軽島の明宮(あきらのみや)に即位する。この物語にみられる,漂流,海上来臨,みそぎ,成人,即位という展開は,神来臨を原型とした始祖神話譚の性格を濃厚に持つ。《住吉大社神代記》が〈大神と密事(むつびごと)あり〉と述べ,天皇を神の子とするのも,天皇の神秘的性格を示すものである。また祖父を東西平定の英雄,日本武尊とし,母を,新羅皇子の血統をひき,半島を平定した神功皇后としたのは,この天皇が日本および半島の生まれながらの君主であるという主張を示す。後に天皇と母は八幡信仰の中心に据えられていく。
執筆者:吉井 巌
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記紀では第15代の天皇とする5世紀前後の王者。仲哀(ちゅうあい)天皇の皇子で、母は神功(じんぐう)皇后と伝える。諱(いみな)は誉田別尊(品陀和気命)(ほんだわけのみこと)。筑紫(つくし)で生まれ、母とともに大和(やまと)に赴き、神功皇后の次に王位についたという。応神天皇の代の伝承には、蝦夷(えみし)の朝貢、吉野国樔(くず)の貢献、吉備(きび)の行政的編成などのほか、朝鮮半島からの渡来人の伝えがみえるが、『古事記』や『日本書紀』に記載する伝承の信憑(しんぴょう)性については、文献批判を必要とする。『宋書(そうじょ)』夷蛮(いばん)伝の倭国(わこく)の条にみえる、倭王讃(さん)については、これを応神天皇とする説がある。その諱が別(和気)を帯びており、応神天皇の以前と以後では諡(おくりな)、諱に差異があること、また応神天皇以後と、神功皇后までの説話の趣(おもむき)には違いがあって、5世紀の王陵と伝える古墳が主として河内(かわち)(大阪府)にあることなどから、応神天皇の王朝は新たな河内王朝であったとする説や、当時の古墳文化に注目して、筑紫から東征した騎馬民族の王朝とする説などがある。陵は『古事記』や『延喜式(えんぎしき)』などによれば、大阪府羽曳野(はびきの)市にある恵我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)(誉田陵(こんだりょう))と伝える。
[上田正昭]
記紀系譜上の第15代天皇。胎中天皇・誉田(ほんだ)天皇・品陀和気(ほんだわけ)命・誉田別命・大鞆和気(おおともわけ)命とも称する。父仲哀天皇の没後,母の神功(じんぐう)皇后が朝鮮への軍事行動を行い,帰国後九州で応神をうんだとされる。その出生状況には説話的要素が強く,それ以前の皇統とは隔絶した新王朝の創始者としての性格が濃厚である。名前に美称が含まれないことなどから,5世紀に実在した大王とする説もある。軽島豊明(かるのしまのとよあきら)宮(現,奈良県橿原市大軽町付近)のほか,難波に大隅(おおすみ)宮(現,大阪市東淀川区大桐付近)を営んだとされ,陵墓が恵我藻伏岡(えがのもふしのおか)陵(現,大阪府羽曳野市誉田(こんだ)の誉田御廟山古墳に比定)とされることなどから,応神に始まる王朝を河内王朝とよぶ説もある。百済(くだら)の王朝と密接な関係を築いたと伝えられ,また後代の有力な渡来系氏族の祖とされる阿知使主(あちのおみ)・弓月君(ゆづきのきみ)・王仁(わに)などが渡来した時代ともされる。「宋書」倭国伝にみえる倭王讃(さん)を応神に比定する説もある。皇后仲姫(なかつひめ)との間に仁徳天皇らをもうけたとされる。
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※「応神天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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