翻訳|perversion
クラフト・エービングらは性欲の質的な異常を性倒錯と呼び,これをさらに,(1)性対象の異常であるインバージョンinversion,(2)性目標の異常である狭義の性倒錯,の二つに分けた。歴史的に性対象の異常とされてきたものには,以下の行為がある。自分自身の肉体を性対象とするオートエロティズム(ナルシシズム),自分と同性を対象とする同性愛,性的に未熟な幼児を対象とする小児性愛(ペドフィリアpedophilia),老人を対象とする老人性愛(ジェロントフィリアgerontophilia),死体を対象とする屍体性愛(ネクロフィリアnecrophilia),動物(獣,鳥など)を対象とする動物性愛(ゾウァフィリアzoophilia,これにもとづく行為が獣姦=ソドミーsodomy),フェティッシュと呼ばれる物品や肉体の一部を性愛の対象とするフェティシズム,親子・同胞と交わる近親姦(近親相姦)など。一方,性目標の異常としては,露出症,窃視症(voyeurism,いわゆる〈のぞき〉),サディズム,マゾヒズム,異性装ないし服装倒錯(トランスベスティズムtransvestism)などがあげられてきた。異性との性器交接を正常の性交と考えると,これらの行為はいずれも,それによって得られる以上の性的興奮,快感,満足を,これらの性対象や性行為から獲得しようと試みるものとされてきた。これらの性倒錯の多彩なカタログを記述・命名したのは,主として精神鑑定を通じて性犯罪例を多く観察したクラフト・エービング以来の精神病理学者,犯罪心理学者である。しかし,この歴史にも由来する,〈性倒錯〉という言葉にまつわる価値的・差別的なニュアンスに反対して,単に性嗜好異常,パラフィリアparaphiliaと称すべきだという主張が強くなり,この言葉は1980年のアメリカ精神医学会発行の《精神障害の診断と統計の手引》第3版(略称DSM Ⅲ)以降の版に採用されている。また,同性愛については,この《DSM Ⅲ》から削除された。
S.フロイトによると,性倒錯は幼児性欲期の諸衝動が成人期にいたるまで統合・解消されることなく残存したもので,部分本能への固着ないし退行とみなしうる。実際,潜伏期(学童期)を終わって再び性欲動が活発になる思春期前期には倒錯的衝動が自覚されたり行動に現れたりすることが多く,フロイトはこれを〈多形倒錯(期)〉と称した。正常な発達においては,これらの衝動は正常な性器性愛の中に統合され,空想や前戯の中にその痕跡をとどめるにすぎなくなるのだが,心理-性的な発達に障害がある人では,この幼児的な衝動が性活動の最終的な目標や対象となってしまった,と説明される。もっとも,性倒錯については,素質的要因を重視する体質生物学的立場,異性に対する態度の障害を重視する新フロイト派,単にゆがんだ異常な行為として見るのではなく,恋愛的に気分づけられた世界内存在の明るみの場においてその人なりの開かれた関係を持とうとする試みと見る現存在分析の立場など,さまざまな学説がある。近年では,動物行動学や学習心理学の方法にしたがって,性倒錯を誤った刷りこみ(インプリンティング),誤った条件づけやその強化によるものと見,嫌悪療法などの治療を提唱する人々もいる。しかし,性倒錯者の心理療法は,彼らがこの異常に苦悩や苦痛を心の底からは感じていないことも多いため,きわめて困難なケースが多い。
精神医学的に見ると,精神病,神経症,異常性格に性倒錯が観察されることもまれではないが,性倒錯者の大部分は,医学的な意味での病気ではなく,単に一定の行動異常を持つ人々を包括する概念にすぎない。性倒錯者の中に,性染色体異常,半陰陽,ホルモン異常などの肉体的異常が発見される比率はきわめて低い。鑑別診断のための検査は必要不可欠であるが,大部分のケースでは,心理療法・認知行動療法的なアプローチによって対処する他はない。
法律,犯罪との関係についていえば,アメリカ合衆国の諸州やヨーロッパ各国では,性倒錯行動そのものを刑事罰の対象として犯罪と見ている所もあるが,最近ではそれらを犯罪の構成要件からはずしていく傾向にある。たとえば,西ドイツでは,1952年以降,成人間の,合意にもとづく,公衆の面前におけるものでない同性愛行動は,刑法上の罪にはならないことになった。しかし,姦通,密通,同性愛,露出,窃視,自慰,獣姦などを罪としている国や州はまだ存在する。一方,日本では,性倒錯行動そのものを罪とする法律はないが,サディズムがたまたま傷害,同致死,暴行罪を,小児性愛が強制猥褻(わいせつ)罪や児童買春・児童ポルノ規制法を,窃視が住居侵入罪を,フェティシズムが窃盗罪を構成することはありうる。ちなみに,思春期非行において性非行と呼ばれるものの中には,下着窃盗,幼児猥褻,窃視など,性倒錯に数えられる行動が見られることがまれではないが,その多くは発達途上の多形倒錯や,適切な性対象が得られないための代償行動とみなすべきであるから,性倒錯様非行と呼ばれるこのような過渡的な適応障害に対して,性倒錯のラベルを安易にはることは適切でない。
なお,性倒錯を,心理-性的な障害による〈真の倒錯〉と,適切な性対象が得られないための代償として倒錯的行動におもむく〈代償性・二次性の倒錯〉に区別することがある。しかし学習と強化によって後者が前者に移行することもありうるので,この区別がいつも可能というわけではない。また,性倒錯者といえども,倒錯的行動に終始するわけではなく,いわゆる正常な性行動によって満足を得る場合も多い。一般的にいって,人間の性行動に対して正常-異常の区別をすることは困難な場合が多いが,性倒錯の診断も,その変わった行為によって自分が悩んだり,相手や社会が悩まされるような場合にだけ限定すべきであると考えられる。
→異常性欲
執筆者:福島 章
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
異常性欲のうち、質的な性欲の異常をいい、性対象の倒錯と性目標の倒錯がある。
[編集部]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
… こうした〈愛〉の可能性が自己中心的なせばまりや孤立の不安によって隠蔽されるようになると,そこにさまざまな〈性〉の障害が現れてくる。同性愛,サディズム,マゾヒズム,露出症,フェティシズム,のぞきなどの〈性倒錯〉がそれで,これらは〈性〉の衝動性の次元に還元すべき性質のものではない。ただし,〈愛〉の原理が近代資本主義社会の根底にある交換や消費の原理と両立しにくいことも確かで,新フロイト派のE.フロムは現代社会ではその矛盾を象徴するような〈愛〉の病理がすでに進行しつつあると警告している。…
…また収集癖もあげられる。性欲の異常ないし性倒錯には,量的異常として性欲亢進と性欲減退とがあり,質的な異常では対象の異常として同性愛,動物嗜愛,児童嗜愛,獣姦,自己愛,死体嗜愛,服装倒錯があり,満足手段の異常としてフェティシズム,露出癖,窃視症,サディズム,マゾヒズムがある。意志【小見山 実】。…
…従来,ドイツ語でSchwachsinn(精神薄弱)といわれた概念で,知的能力の発達が遅滞し,学習や知的な作業,身辺の管理,社会的な生活が困難なものをいい,精神発達遅滞ともいう。これに対し,情意発達の遅れないし不均衡が人格異常であり,性的精神発達の遅れないし不均衡が性倒錯である。知能がいったん発達したのち低下するものは痴呆で,精神遅滞とは区別される。…
※「性倒錯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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