朝日日本歴史人物事典 「恒助法親王」の解説
恒助法親王
生年:正応4(1291)
鎌倉末期の天台宗寺門派の僧。後深草法皇の皇子。母は参議藤原茂通の娘,別当典侍。円満院門跡を継承するが,それに先立ち兄行覚法親王と亀山上皇の皇子性覚法親王の間で紛争があった。早世。
(土谷恵)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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