意識(読み)イシキ

デジタル大辞泉 「意識」の意味・読み・例文・類語

い‐しき【意識】

[名](スル)
心が知覚を有しているときの状態。「意識を取り戻す」
物事や状態に気づくこと。はっきり知ること。また、気にかけること。「勝ちを意識して硬くなる」「彼女の存在を意識する」
政治的、社会的関心や態度、また自覚。「意識が高い」「罪の意識
心理学・哲学の用語。
㋐自分自身の精神状態の直観。
㋑自分の精神のうちに起こることの知覚。
㋒知覚・判断・感情・欲求など、すべての志向的な体験。
《〈梵〉mano-vijñānaの訳》仏語。六識八識の一。目や耳などの感覚器官が、色や声など、それぞれ別々に認識するのに対し、対象を総括して判断し分別する心の働き。第六識。
[類語]正体正気人心地人心認識

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精選版 日本国語大辞典 「意識」の意味・読み・例文・類語

い‐しき【意識】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 仏語。六識、八識の一つ。眼、耳、鼻、舌、身の五識が五根を通してそれぞれとらえる色、声、香、味、触の五境を含む一切のもの(一切法)を対象(法境)として、それを認識、推理、追想する心の働き。狭義には前五識の対象である色境等の五境を除いたもの(法境)を対象とする心の働き。この心の働きが眼から身までの五識を伴って起こるのを、五倶(ごぐ)の意識といい、単独で起こるのを独頭(どくず)の意識という。第六識。第六意識。
    1. [初出の実例]「諸法は意識の成す所や」(出典:宴曲・宴曲集(1296頃)五)
  3. 目ざめているときの心の状態。狭義には、自分や自分の体験していることやまわりのことなどに気づいている心の状態。哲学では中心課題であり、特に観念論では自然や物質の独立性を否定し、これを根源的なものとする。〔解体新書(1774)〕〔哲学字彙(1881)〕
    1. [初出の実例]「饑死などと云ふ事は、〈略〉意識の外に追ひ出されてゐた」(出典:羅生門(1915)〈芥川龍之介〉)
  4. ( ━する ) 何事かを気にとめること。
    1. (イ) 心に悟ること。わかること。また考えること。〔論衡‐実知〕
    2. (ロ) ある意図をもってすること。
      1. [初出の実例]「これまでの新聞の発展は、社主が意識(イシキ)して遂げさせた発展ではなかった」(出典:青年(1910‐11)〈森鴎外〉一三)
    3. (ハ) 自分やまわりのようすがどうなっているかに気づくこと。
      1. [初出の実例]「健三は相手の自分に近付くのを意識(イシキ)しつつ」(出典:道草(1915)〈夏目漱石〉二)
    4. (ニ) 特別にある人や物事を気にかけること。
      1. [初出の実例]「此為替を出奔の路用にする不孝を意識(イシキ)せずには居れなかった」(出典:黒い眼と茶色の目(1914)〈徳富蘆花〉八)
  5. ある物事に対してもっている見解、感情、思想など、社会的、歴史的な影響を受けてかたちづくられる心の内容。多く、内容を示す連体修飾句がついて用いられる。
    1. [初出の実例]「階級的意識によって導かれて始めて、それは階級のための芸術となるのである」(出典:自然生長と目的意識(1926)〈青野季吉〉)

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改訂新版 世界大百科事典 「意識」の意味・わかりやすい解説

意識 (いしき)

古代インドには,霊的,生命的なものを言い表す言葉の一つとして〈意manas〉(英語ではmindと訳される)という語があったし,また原始仏教では,現象界の分類(五蘊(ごうん)説)やその生成の説明(十二縁起説)に関して〈識vijñāna〉という語が用いられ,それによって了別の働きや個性化の原理が意味されていた。大乗仏教の時代には,十二縁起のうちの〈識〉によっていっさいを説明しようとする唯識思想(唯識説)が現れ,その中で,五官にかかわる五識を統一する第六識が〈意識〉と呼ばれていた。日本でも,この語は長い間そうした含蓄の仏教用語として用いられていたと思われるが,幕末以後,西洋の諸学が輸入されるにつれて,ヨーロッパ語の訳語という性格を強めながら今日に至っている。その端緒は,西周にあったと考えられる。彼はアメリカ人ヘーブンJoseph Havenの《Mental Philosophy》(1857)を翻訳して,《心理学》上下巻(1875-79)として出版したが,それに付された〈翻訳凡例〉の中で,訳語を案出する苦心に触れながら,〈意識〉等の語については〈従来有ル所ニ従フ〉と述べている。それからほどなく,井上哲次郎らの手によって刊行された《哲学字彙》(1881)には,〈Consciousness意識〉とあり,この語がほぼこのころ哲学,心理学等の用語として定着したことが知られる。

 英語のconsciousnessは,接頭辞cumとscire(知る)の過去分詞sciusとからなるラテン語consciusを語源とする。cumは一般に共同的な含意を作る語であるから,con-sciusは,(1)ある知識をだれかと共有したり,共犯関係にあること,あるいは(2)ある行為や思考,感情などに,それについての知,すなわち自己意識が伴っていることを意味していた。(3)その際,その自己意識が欺瞞を含まない限り,それは〈良心conscientia〉と呼ばれてよいであろう。スコラ哲学では,この用法がしだいに重きをなしていったと言われている。このconscientiaが英語のconscience(良心)やフランス語のconscience(意識)になるわけであるが,ドイツ語でも,古形のGewissenからBewusstsein(意識)が独立したのは,やっと18世紀のC.ウォルフからであるという。

 意識という語のとくに近代的な意味は上述の(2)にあると考えられるが,その確立はデカルトとともに始まったと言ってよい(彼は多くはコギタティオcogitatioという語を使ったが)。彼が精神を〈考えるもの(レス・コギタンス)〉と規定したとき,そのコギトとは自己意識にほかならなかったからである。意識という語で,さめた心の状態や意図的な何かを意味する今日のわれわれの用法も,そこに通ずるであろう。ちなみに,西周の邦訳した前述のヘーブンも,意識を〈みずからの諸現象を認知している心の状態ないし作用〉と定義している。このような意味での意識をとくに重視するものに,現代の実存主義の哲学がある。例えばハイデッガーは,人間特有の在り方を〈前存在論的〉な〈自己了解〉にあるとみなし,そうした在り方を〈実存〉と呼んだが,サルトルも,いわゆる無意識とは実は〈非定立的自己意識〉,すなわち非主題的,非対象的な自己意識にほかならないとして,無意識の存在を否定し,人間の根源的自由を力説した。彼によれば,神経症といったものも,各自の選択した生き方なのである。しかし,たとえ非定立的な意識にもせよ,睡眠や失神のただなかにおける睡眠や失神の意識について語ることは無意味であろう。その点では,意識をむしろ非人称的なものととらえ,デカルト的〈我思う(コギト)〉を,It thinks(within me)(……と考えられる)と言いかえようとしたラッセルやカルナップらの経験主義にも一理があることになる。経験主義の外でも,例えばメルロー・ポンティは〈身体〉に哲学の原理を求めたが,その動機も自己意識としての意識概念への不満にあったのである。

 ところで,思考であれ感情であれ,われわれに内的に与えられているすべては,ともかくも自己意識の対象になりうるという点で共通している。したがって,拡張された意味では,内的所与のすべてを意識と呼ぶことも可能であろう。〈意識不明〉などというときの意識はまさにそのようなものであって,思考・感情・意志等の区別はそうした意識の下位区分をなすにすぎない。このように,〈主観〉とほとんど相おおう意味での意識を考えるならば,問題になるのは何と言っても対象との関係である。伝統的に模写説と構成説とが争われてきたのも,その点に関してである。しかし,刻々に変転する現象世界の中での対象の同一性とは,対象自体の性質ではなく対象に付与された一つの意味と考えるべきであろうから,意識を単純にある対象の反映と見ることはできない。カントが意識の本質を,ア・プリオリな構造をそなえた〈総合〉の働きに求めたゆえんである。しかも,その総合が自発的なものである限り,意識は少なくとも権利上は〈統覚〉,つまり自己意識でなければならなかった。カントの二元論的傾向を一元化する方向でカント継承を企てたものがドイツ観念論であるが,そこでは意識は構成的機能を失って,現象の背後を指示する形而上学的な概念に変貌していった。日常の意識概念から出発したヘーゲルにおいてさえ,〈意識の学〉とは〈絶対精神〉に至るまでの〈精神の現象学〉なのである。その意味では,カントの構成主義はフッサールに継承されたと言ってよい。彼においては,意識は〈何ものかの意識〉として,対象定立的〈志向性〉を本質とするが,志向性はまた,受動的に与えられる〈生活世界〉をはじめ,知的に構築される科学の諸理念に至るまでのいっさいを〈構成〉する総合の働きでもあったのである。その際,〈受動的総合〉といった概念の導入によって,総合と事実上の自己意識の諸段階との調和が図られているのは,一つの前進といえる。

執筆者:

医学的には,意識は〈通常目覚めていて,外界から与えられた刺激を正しく認識して適切な行動に関連づけていく諸過程を維持する機能の全体〉と定義される。この機構は大きく2段階に分けることができる。その第1は目覚めている状態,すなわち覚醒を維持する機能であり,第2は認識能(意識内容と呼ばれることもある)である。

 覚醒は脳幹網様体に存在する上行性網様体賦活系によって維持されている。大脳皮質には触覚や痛覚,聴覚など種々の感覚刺激が伝えられるが,その一部は途中で脳幹網様体にも伝えられ,上行性網様体賦活系を活動させる。次いで,ここから発せられる神経インパルスが視床を通じ大脳皮質全域に投射されてこれを興奮させるが,これが覚醒と呼ばれる現象である。このようにして目覚めさせられた大脳皮質は,種々の外界からの感覚情報に対して十分に敏感になり,これを正しく受容・認識して適切な行動をひきおこす。このような大脳皮質の営みが,認識能,あるいは意識内容と呼ばれる機能である。

 意識を保つこれら2段階のどちらか一方でもその機能を失うと意識障害が生ずるわけであるが,主としてどちらの機能が失われるかによって,現れる症状にも大きな差が出てくる。脳幹の上行性網様体賦活系が傷害を受けると,目覚めた状態が失われ,目を閉じて眠ったような状態になってしまい,外界からの刺激には応じなくなってしまう。これに対し,大脳皮質が広範に破壊されると,開眼して手足を動かし,一見覚醒しているように見えても外界の情報を認識し記憶にとどめることができないため,適切な行動ができず,外界への反応が失われてしまう。したがって意識障害を現象的に記載するにあたっても,この二つの側面を念頭においてなされるのが普通である。

 昏睡,昏迷,昏蒙,傾眠などは覚醒の程度を表すものであり,昏睡comaはどのような外界からの刺激に対してもまったく目覚めることのない最も深い意識障害に対して用いられ,傾眠somnolenceは呼びかけないかぎり,目を閉じてうとうととしているが,容易に目を覚まさせることのできるような軽い意識障害を示す。昏蒙benumbingと昏迷stuporはこの二つの中間段階に対して用いられ,通常後者のほうが前者より高度の意識障害を意味するものである。

 これらに対し,認識能の障害は,意識内容の変化,すなわち意識変容として表現される。そのようなもののうち,目覚めていて手足を自由に動かすことができるが,思考が混乱して,外界の事象を錯覚したり幻覚が現れたりする状態は,せん妄deliriumと呼ばれる。これより軽度ではあるが思考や行動にまとまりの欠ける状態は,もうろう状態twilight stateと呼ばれる。また長期間経過した広範な大脳皮質病変の場合には,目を開いて覚醒してはいるが外界からの刺激に対しまったく反応せず,手足も動かさずにじっとしたままの状態が生ずるが,これらは失外套症候群apallic syndromeとか慢性植物状態vegetative stateなどと呼ばれている。

 意識障害を生ずる原因はさまざまであるが,やはり大脳全体を広範におかすようなものと,脳幹網様体の局所的病変によるものとに分けられる。前者には,一酸化炭素,アルコール,睡眠剤などの種々の薬物などによる中毒や,糖尿病,肝硬変,脱水などの代謝異常,呼吸障害,窒息,心臓停止,低血圧,大量失血,低血糖など脳へ行く酸素やブドウ糖の不足状態,脳震盪(しんとう),てんかん発作,電気ショックなどのように大脳全体に急激な強い刺激の加わった状態,髄膜炎,クモ膜下出血などの脳をとりまく髄膜の病気によるものなどがある。局所的病変としては,脳腫瘍,脳内出血,硬膜下血腫,硬膜外血腫,脳膿瘍,脳梗塞(こうそく),脳浮腫などがある。これらの病変は,脳幹の上行性網様体賦活系を直接的に破壊したり,または間接的にこれを圧迫したりして,意識障害を生ずる。間接的な圧迫の場合には病変は通常大脳半球にあるが,大脳全体は頭蓋骨という硬い容器の中におさめられているために,大脳半球の部分の体積が増大すると,行きどころのなくなった大脳の組織が小脳テントと脳幹の間のすきまから下方に押し出され,そこで脳幹を圧迫することになるのである。

 意識障害は急激に発症することが多く,治療が適切に行われないと致命的な結果に至ることも少なくない。したがって意識障害は直ちに救急医療の対象として取り扱われるべきである。とくに呼吸障害や心臓停止などのように一刻を争う場合も多い。このような原因による意識障害が長びくと脳死に至り,いかなる治療も無意味な状態に陥ってしまう。したがって,このような最悪の事態を防ぐためには,意識障害患者に対する救急処置として人工呼吸心臓マッサージなどを施すことがきわめて重要である。また意識障害のある患者の場合,それを生ずる以前の状況についてはまったく不明であるようなことも少なくないため,薬物中毒糖尿病性昏睡低血糖昏睡,肝硬変による肝性昏睡など,頻度の高い,しかも治療可能な意識障害については,その有無が検査で確認されるようでなくてはならない。局所的原因による意識障害の場合には,腫瘍や血腫の外科手術によって意識を回復させることの可能なものが多い。

 意識障害は,それ自体が致命的でなくとも,長期間続くと肺炎を併発したり,褥瘡(じよくそう)(床ずれ)や膀胱炎などからの細菌感染などによって全身の衰弱を生ずる危険性があり,また食事や水分補給が十分に行われないため,栄養障害や脱水などを起こして意識障害をさらに悪化させ,これによって死に至らしめることもまれではないから,十分な注意が必要である。
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最新 心理学事典 「意識」の解説

いしき
意識
consciousness(英),conscience(仏),Bewusstsein(独)

意識には多義的な意味があるが,一般的には現在経験している自分の状態や周囲の状況などを感知している心の状態を指す。意識は主観的な現象であり,他の事象に還元することはできない。注意による気づきawareness(アウェアネス),あるいはその過程を示す場合にも使われる。意識障害disturbance of consciousnessになると一過性あるいは持続性の思考能力の喪失,昏迷,嗜眠や昏睡などが観察され,脳波などに異常が観察される。直接経験として見たり聞いたりしている自己に気づくのは,外界への気づきによる意識であり,問題を抱えているときにその解決の見通しに気づいたりするのは内的な気づきによる意識と考えられる。この意味では,意識は内外の環境への気づきによって,主体としての自己が経験される過程で生まれる志向的な心の状態であるといえる。

 しかし,意識には制約性が伴うので,すべての経験や行動が必ずしも意識されるとは限らない。この制約があるのは,気づきという志向的な心を担う機制に制約性と選択性があるためだと考えられている。脳の活動は意識と密接にかかわる一方で,同時に無意識な心的状態ともかかわることがわかってきた(たとえば,精神分析では意識は適応機能の担い手とされるが,無意識についてはその力動性に注目する)。

【脳と意識】 意識は古代,中世,近世を通して哲学の認識論・存在論の中心的テーマであった。意識は脳内過程の副産物にすぎないとする随伴現象説(Huxley,T.H.,1874)が唱えられたこともあった。意識は長い哲学的探究の歴史をもつが,それが科学的研究の対象となったのは最近のことである。17世紀にデカルトDescartes,R.が心脳(身)二元論を提唱して以来,物理的な脳が主観的な意識をどのように生み出すのかという疑問は近代科学の解くべき大きな問題と考えられてきた。身体と意識を分離させることで,デカルトは,身体を機械論的に説明する一方,意識や心を考える理性的主体としてとらえる実体二元論を考えた。一方,デカルトは思考する主体としての自己を「われ思うゆえにわれあり」という命題に見いだし,心が自己認識の働きをもつことを示すことで,意識をヒトに固有の心の働きと考え,意識の科学的研究の礎を築いた。彼は物質と意識という二つの実体が脳内の松果体で相互作用すると考えたが,このような意識が脳の特定の領域とかかわるという考えは,現代科学からは誤りとされている。意識の科学的研究の難しさを示す例として,主観的な感覚の質を指すクオリアqualiaがある。チャルマースChalmers,D.はクオリアの科学的解明は困難であると考え,これをハードプロブレムhard problemとよんだ。その脳内表現の可能性については論議が続いている。

 近年,脳の認知神経科学の進展により,意識の働きの一部が機能的磁気共鳴画像法(FMRI)などで観察できるようになり,心の主観的状態を表わす心理的指標とも深くかかわることが示唆されている。脳の活動と意識のかかわりをどうとらえるかによって,意識を脳の過程に完全に還元できるという極端な心脳同一論から心脳二元論までさまざまな考えがあるが,ある種の意識は特定の脳領域のネットワークの活動とかかわることがわかってきた。意識と脳の間には因果的な相互作用があると考えるのが一般的な考え方であり,実験心理学と神経科学の融合的研究が進展し,意識の神経相関neural correlates of consciousness(NCC)の視点から検討が加えられるようになってきた。その結果,意識の働きが脳全体にかかわるのではなく,解決すべき課題によって,異なる脳領域が協調して(あるいは抑制し合いながら)働く,ということがわかってきた。これは,特定の脳領域がダメージを受けると,対応する意識の働きが変わることを示している。視覚的な意識の障害を例に取ると,たとえばブラインドサイト(盲視)blindsightの症例では,脳の視覚野がダメージを受けて,対象が見えなくなっても運動刺激の方向などを判断させると的確に言い当てることができる。つまり,見ているものを意識することなしに見ているのである。ブラインドサイトは無意識の意識とも考えられ,意識とは何かを考える際に参考になる。

 意識へのアプローチを近代の歴史から見てみると,行動主義は,意識を主観的で観察できないものとして研究対象から排除したが,20世紀後半に主流となった認知的アプローチでは意識や注意は研究の重要なテーマとなっている。現在の意識の科学は認知心理学,認知神経科学,心の哲学などの認知諸科学が広くかかわる広領域の学問となってきた。ここでは,意識は志向性として,志向性は機能性として,さらに機能性は目的性と関連づけられて機能主義的に説明されることが多い。機能主義functionalismは,意識の流動的な機能や作用を重視したジェームズJames,W.などの思想的立場を指すもので,意識を感覚,感情や観念などの要素の複合体から構成されると考え,要素は内観によって分析できるとしたブントWundt,W.やティチェナーTichener,E.B.の構成主義に対するものである。ブレンターノBrentano,F.,シュトゥンプStumpf,C.らの作用心理学やゲシュタルト心理学でも意識の作用や全体性が重視された。意識の科学的研究において,有力な考え方は機能主義的な認知的アプローチを取る立場で,脳内で表象された情報が意識の内容となり,これが志向性を帯びると想定する。

 意識は停止することのない連続した流れであるとしたジェームズの意識の流れstream of consciousnessの考えの背景にも機能主義がある。彼はまた,明瞭な意識の中心部分に対して,その周辺の明瞭ではない意識を意識の周辺fringe of consciousnessとよんだ。前頭葉を中心に働き,容量制約をもち,気づきと密接にかかわる目標志向的な意識としてワーキングメモリworking memoryがあるが,意識をこのような現在の経験を担うアクティブな記憶としてとらえることもできる。

【意識の階層】 意識の働きに階層や段階を想定する考えは古くからある。ライプニッツLeibniz,G.W.は知覚,回想および統覚などの3段階を考え,ウォルフWolff,C.は,明瞭なものから不明瞭なものまで段階があると述べ,意識の明瞭性Klarheit des Bewusstseinsという考えを示した。ブントの意識心理学では明瞭な意識の範囲は注意野Aufmerksamkeitsfeldあるいは識心Bewusstseinspunktなどといわれた。意識の明瞭度および水準を示すのに意識の程度degree of consciousnessという表現が用いられることもあった。いずれも,意識に階層を想定している。生物学的立場から見た意識の3階層モデルでは,まず基底となる第1層に覚醒arousalを考え,第2層にアウェアネスに導かれる中間的意識,つまり,外界認識にかかわる知覚的意識(と外界への適応行動を生み出す運動的意識)という意識の階層を想定し,第3層に高次な自己意識や社会的意識を想定する。自己意識には自身の心の状態mental statesを再帰的にモニターできることが必要であり,自己への気づきが他者の心の状態の推定問題(心の理論theory of mind)や,さらには自己と他者の関係性にかかわる社会的意識にも及ぶものと考えられている。このモデルでは,意識を生物一般にわたって広範な視野からとらえることができる。

 トップレベルの第3層の意識は一部の霊長類とヒトにのみ固有の意識であるといえるが,第1および第2層の意識は動物一般について認めることができる。脳とのかかわりでは,それぞれの階層は第1層が視床などの脳幹,第2層は主として大脳新皮質の知覚・運動にかかわる脳領域が,第3層は他者の心や意図を読む側頭や内側前頭前野などが連携して働くと考えられている。高次レベルの脳内表現は社会脳social brainや社会神経科学social neuroscienceの主要な研究テーマとなっている。

 仏教思想でも8種の心識(八識)と,それにかかわる51種の心所を想定し,無意識に対応するアーラヤ(阿頼耶)識を考える(千葉胤成,1957)。日本固有の意識論として千葉胤成の固有意識,佐久間鼎の基調意識,黒田亮の勘の意識論などがある。 →機能主義 →構造主義 →精神分析 →無意識 →唯識心理思想
〔苧阪 直行〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「意識」の意味・わかりやすい解説

意識
いしき
consciousness 英語
conscience フランス語
Bewußtsein ドイツ語

心理学における意識とは、個人によって体験され、気づかれていることをいう。体験者自身には直接に把握されているが、他者にはその報告を得ない限り直接的には把握できないものである。意識という用語は多義的で、知っていることの内容を意味することもあり、また、知ったり気づいたりの過程を意味することもある。いずれにせよ、意識は主観的なものであり、経験や行動はすべて意識されているとは限らない。

 意識されるものと意識されないものとの境界は識閾(しきいき)とよばれる。とくにはっきりと意識することを注意というが、意識の範囲と注意の範囲とは同じ意味で使われる。いわゆる意識調査の意識のように、態度と同義語として使われることもある。この場合の意識とは、主観的に気づいているというよりは、個々の内容の背後にある一貫した傾向を意味する。

 生理学的には、意識は脳幹の網様体から上行する上行性網様体賦活(ふかつ)系および視床の非特殊核から上行する広汎(こうはん)性視床投射系を経た感覚性インパルスimpulse(刺激)によって大脳皮質の興奮性が高められ覚醒(かくせい)しているとみなされる。興奮性のレベルは脳波の波形から判定されるが、もっとも低いレベルでは睡眠状態となり、意識は失われる。

[今井省吾]

意識の流れ

stream of consciousness アメリカの心理学者で哲学者のW・ジェームズによって1886年につくられたことばで、意識は流動的で瞬時も停止することがないという意味である。イギリス連想学派からドイツのブントに至る心理学者たちの観察記述した意識は、ある瞬間の断面図にすぎない。実際の経験は個人的な意識の一部として絶えず変化しているし、また、これらの集大成とみられる人格は連続性を保ちつつ絶えず何かを志向している。そして、多数の意識要素のなかからある一群のものだけを選んで統一体を保とうとする。この中核となる意識が自我である。

[今井省吾]

意識心理学

consciousness psychology ほとんどの心理学が意識を重要な研究対象としている。にもかかわらず、わざわざ意識心理学ということばが使われることがある。実験心理学の開祖のブントは心理学の体系を建設するにあたって、彼の心理学の重要な方法である内観の適用が不可能な無意識を、心理学の対象から除外した。そして、心理学のおもな任務は意識の内容やその分析であると考え、自分自身の意識を観察し、それを心理的要素に分析する内観法を心理学の主要な研究法としたのである。ブントやその弟子のティチナーの心理学は代表的な意識心理学である。また、イギリスの連想主義心理学は構成要素として観念を考え、観念の連合によって心理現象を説明しようとするから、意識心理学のなかに含まれる。ゲシュタルト派やアメリカ機能主義心理学派は、意識とともに行動や行動の結果(テスト問題への反応)をも研究対象としている。

 一方、精神分析学や行動主義心理学は、意識心理学とは対照的である。精神分析学では意識に上らない心理的過程が仮定され、意識や行動の原因を意識下に求めようとする。フロイトの精神分析学では、ヒステリーは当人の自覚しえない無意識の動機、あるいはコンプレックスによって営まれる非合理的な表出行動であると考えられ、また、精神生活の大部分は無意識によって占められ、意識は氷山の一角にすぎないと考えられた。また、行動主義では、意識は主観的で外から客観的に観察できず、内観法によってのみ観察されるにすぎないとして、心理学の研究対象から除外した。

[今井省吾]

意識の哲学

一方デカルト、カント、フッサールに代表される西洋の伝統的近・現代哲学によれば、およそ人間が経験し知るいっさいのものは、意識を通じ、「意識された」ものという形で経験され知られるが、その際、経験され知られるほうのものは、普通、意識の「対象」ないし「意識内容」とよばれ、経験し知る働きの側面は「意識作用」と称される。意識はあらゆる知識の基盤であるがゆえに、その意識を事典的知識の項目として提示するのは絶望的に困難であるが、現代における精緻(せいち)な意識哲学の代表例であるフッサールの現象学によれば、知識(経験)成立の場所である意識の構造契機として、感覚素材的なヒューレhlē(ギリシア語で質料の意)とそれを生化する統握(とうあく)つまり意味付与作用との二つの層を含む実的(ドイツ語でレーエルreell)な体験、およびその体験の非実的(ドイツ語でイデエルideell)な相関者との2契機があり、これら両者の相関関係によって意識の「指向性」、つまり「――の意識」であるという意識の対象指向性、対象「の」意識であるという知識的性格が保証される。

 ただし、前記のような意識は、少なくとも知識の対象である限りでの世界(の事物)を「構成する主観性」という意味をもつようになるので、その意識(構成する主観性)それ自身は、構成された対象世界内のできごと(某々の心理)からは明確に区別されねばならない。フッサールは内世界的できごととは区別される対象構成的な意識を、カントの流れをくんで、「超越論的」と規定している。

[山崎庸佑]

『フッサール著、渡辺二郎・立松弘孝訳『イデーン』(1979・みすず書房)』『川田三夫著『意識の心理学』(1983・績文堂)』

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百科事典マイペディア 「意識」の意味・わかりやすい解説

意識【いしき】

通常は人が自己または外界についてもつ直接の明証的な認知をさす。デカルトは物の世界とは異なる独自な心の世界(レス・コギタンス)を想定したが,ここから,内省による意識内容の分析を主題とする19世紀の実験心理学が成立した。しかしW.ジェームズは意識の流動性(意識の流れ)を強調し,意識はむしろ生物の最高次の適応機能を示すものとみる。さらにフロイトは,意識の背後に潜み,ひそかにこれを規定するより広大な無意識の領域を承認した。また行動主義の心理学では,その主体以外には知り得ない意識は科学的研究の対象としては無意味であり不必要と考える。意識の作用を重視する立場はとりわけカント,およびその構成主義を引き継いだフッサール(志向性)にも見られる。
→関連項目感情志向性

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普及版 字通 「意識」の読み・字形・画数・意味

【意識】いしき

心に識る。意向、見解。〔論衡、実知〕衆人闊略にして、する寡(すく)なし。賢の名物を見ては、則ち之れをなりと謂ふ。

字通「意」の項目を見る

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「意識」の意味・わかりやすい解説

意識
いしき
consciousness

広義には,われわれの経験または心理的現象の総体をさし,狭義には,これらの経験中特に気づかれる内容を意味する。また,それら多様な経験内容を統一する作用を意味することもあり,きわめて多義的である。しかし意識はいずれにしても主観的で,個人的であって,内省によってのみ把握できる直接経験である。意識は単に観念の集りではなく,一つの流れであり (W.ジェームズ) ,その状態には明瞭な焦点と明瞭でない辺縁部とが区別される。また意識が覚醒状態であるとすれば,覚醒していない状態を無意識として総括することもある。意識は精神異常によって,あるいはせばまり (意識狭窄) ,あるいは曇り (意識暗化) ,あるいは濁り (意識混濁) ,あるいはばらばらに解体したり (精神錯乱) ,また夢のような状態になったり (夢幻状態) する。

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世界大百科事典(旧版)内の意識の言及

【良心】より

…明治初年以降,《孟子》告子章上の〈良心〉(人間に固有の善心)が,一種の道徳意識としてのコンシャンスconscience(英語,フランス語),ゲウィッセンGewissen(ドイツ語)の訳語として定着するにいたった。近代哲学の中核語はルネサンス期に形成された意識(コンスキエンティアconscientia,その原義は〈共に知ること〉)という術語である。…

※「意識」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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