20世紀日本人名事典 「我妻 栄」の解説
我妻 栄
ワガツマ サカエ
大正・昭和期の法学者 東京大学名誉教授。
- 生年
- 明治30(1897)年4月1日
- 没年
- 昭和48(1973)年10月21日
- 出生地
- 山形県米沢市
- 学歴〔年〕
- 東京帝大法学部独法学科〔大正9年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 文化勲章〔昭和39年〕
- 経歴
- 一高、東大を通じて岸信介と首席を争い、高等文官試験は首席で合格したが官界には進まず、東大法学部の鳩山秀夫教授のもとで民法を研究。大正11年同学部助教授、12年から2年間欧米に留学し、昭和2年に教授となる。その後、末弘厳太郎教授の影響を受けてドイツ流の概念法学と英米流の判例法学の集大成をめざし、「資本主義の発達に伴う私法の変遷」という壮大な研究テーマのもとに独自の民法体系をつくり上げた。この間、家族法の改正など戦後の民法改正では指導的役割を果たしている。32年に退官後は法務省特別顧問、司法関係の幾つかの審議会の委員を務める一方、憲法問題研究会に参加して平和憲法の擁護に尽力した。35年の“60年安保”の際は「岸信介君に与える」の一文を朝日新聞紙上で発表、即時退陣を求めて話題となった。平成4年米沢市に我妻記念館が開館。著書に民法解釈の標準とされる「民法講義」はじめ「民法総則」「民法大意」「債権法」「法学概論」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報