朝日日本歴史人物事典 「戸川秀安の母」の解説
戸川秀安の母
戦国時代の武家の女性。夫富川定安の死後,息子秀安(戸川と改姓)と妹の2子が残されたが,兄の出世の足手まといになるとして,妹を池に投げ込んで殺したと伝えられる。宇喜多忠家の乳母となり,のち岡総兵衛と再婚。生まれた子に軍事を教えるなど,武芸に秀でていたともいう。
(真下道子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新