戸田康光(読み)とだ・やすみつ

朝日日本歴史人物事典 「戸田康光」の解説

戸田康光

没年天文16.9(1547)
生年:生年不詳
戦国時代武将。三河田原城主戸田政光の子。通称孫四郎,官途名は弾正少弼。名は宗光ともいった。祖父に当たる憲光のとき,戸田氏は今川氏に仕え,また康光の娘真喜姫松平広忠後妻に迎えられるなど,松平氏とは近い関係にあった。しかし次第に尾張織田信秀に接近しはじめ,天文16(1547)年8月には,今川義元のもとに送られるはずだった松平竹千代(家康)一行をあざむいて織田信秀のもとに届け,織田方としての旗幟を鮮明にした。その結果,同年今川の大軍に田原城を攻められ,子尭光と共に討死した。

(小和田哲男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「戸田康光」の解説

戸田康光 とだ-やすみつ

?-1547 戦国時代の武将。
真喜姫(まきひめ)の父。三河(愛知県)田原城主。天文(てんぶん)16年人質として今川義元のもとにおくられる松平竹千代(徳川家康)を途中でうばい,尾張(おわり)(愛知県)の織田信秀(のぶひで)にひきわたしたため今川軍の攻撃をうけ,同年9月田原城で討ち死にした。通称は孫四郎。名は宗光とも。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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