手稲村(読み)ていねむら

日本歴史地名大系 「手稲村」の解説

手稲村
ていねむら

明治三五年(一九〇二)から昭和二六年(一九五一)までの村。明治三五年四月、二級町村制を施行して上手稲村下手稲村山口やまぐち村を併せて成立。旧村名を大字とした。その後大字の下に七部をつくる。昭和二六年一一月に町制を施行して手稲町となった。明治三五年末の戸口は、五八三戸、三千三二一人、うち男一千七六九・女一千五五二(道戸口表)。同四一年には田三一四町四反・畑三千七一七町、専業農家四四二戸・兼業農家九二戸、各農産物の収穫高は米一千七九〇石・大麦三八〇石・小麦五二四石・裸麦一千四四〇石・燕麦四千一六三石・大豆一千五〇石・小豆三八〇石・菜豆三三八石・豌豆一六〇石・蕎麦五二七石・粟二一〇石・黍一八四石・玉蜀黍五四〇石・菜種二四〇石・馬鈴薯一〇万三千五〇〇貫・亜麻茎七千五〇〇貫・亜麻種実六七石・牧草七〇〇〇トン・大根八万八千貫、果樹価格合計七四〇円、養蚕収穫価格計二千四九八円、馬四七七・牛三三五であった(明治四三年「札幌支庁庁治一覧」)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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