才坂村(読み)さいざかむら

日本歴史地名大系 「才坂村」の解説

才坂村
さいざかむら

[現在地名]大田市富山町才坂とみやまちようさいざか

山中やまなか村の東に位置する山間の村。東は出雲国神門かんど奥田儀おくたぎ(現多伎町)、南は芦谷あしたに川を隔てて円城寺えんじようじ村。正保国絵図に村名がみえ、高二一六石余。元禄一〇年(一六九七)石見銀山領村々覚によると田方一四八石余・畑方七二石余、年貢高は米八〇石余・銀五七八匁。家数は本家一〇五・門屋一五、人数四九七。一三九町六反余の御立山がある。また鉄砲二挺がある。文政二年(一八一九)の家数人別牛馬調(野沢家文書)では家数一二八・人数四七七。


才坂村
さいさかむら

[現在地名]明智町横通よこどおり 才坂

東は土助どうすけ村、西は阿妻あづま村に接する山中小村慶長郷帳に村名がみえ高三二石余。正保郷帳では田方一七石余・畑方一四石余。文政三年(一八二〇)の家数一五・人数七一(「村歳代日記帳」佐々木文書)。明治二年(一八六九)の村明細帳によれば、高三三石余、田一町六反余・畑一町五反余、家数一五、人数男四五・女四一、馬一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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