旺文社世界史事典 三訂版 「扶清滅洋」の解説
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…多額の賠償金のほか,北京・山海関沿線の外国の駐兵権を認め,人民の反帝運動の鎮圧を清朝が義務づけられるなど,中国の半植民地化をいっそう深めるものであった。 1899年から1900年にかけ,義和団が〈扶清滅洋〉の旗をかかげたことから,清朝と義和団の関係については異なる評価があるが,清朝は基本的に反人民的立場をとりつつも,宮廷内抗争もからんで懐柔・利用と弾圧の両面の対応の間を揺れ動き,対外的には排外主義と投降主義の間を揺れ動いた。結局,義和団と帝国主義列強の両者から追いつめられ,帝国主義の側に投降したのである。…
※「扶清滅洋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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