指宿郷(読み)いぶすきごう

日本歴史地名大系 「指宿郷」の解説

指宿郷
いぶすきごう

鹿児島藩の近世外城の一つ。揖宿いぶすき郡に所属し、鹿児島城下より一〇里の地にある(三州御治世要覧)揖宿郷とも記される。所属村は初め岩本いわもと小牧こまき拾九町じゆうきゆうちよう拾弐町じゆうにちよう拾町じつちようの五村であったが、拾九町村が大村であったため、延宝二年(一六七四)に拾九町村東方ひがしかた・拾九町村西方となり、享保内検の折に東方村・西方村として分村し、計六ヵ村となった(指宿市誌)。延享元年(一七四四)今和泉いまいずみ郷成立に際し、岩本小牧両村と西方村から分村した新西方村が同郷に編入。これにより当郷は四ヵ村として幕末に至るが、「三州御治世要覧」には山川やまがわ鳴川なりかわ(現山川町)はかつて指宿のうちにあったとも記される。鹿児島藩直轄領で、地頭仮屋は西方村のみやはまに置かれた。麓は宮ヶ浜のじようを中心に、谷山たにやま筋沿いの狩集かりあつまい福良ふくら大園原おおぞんばるなどに形成され、浦町のある宮ヶ浜のほか、拾弐町村にみなと浦・摺之すりの浜、東方村に田良たら浦、西方村に尾掛おかけ浦がある。なお地頭仮屋は現在の指宿小学校から国道二二六号を挟んだ反対側の地にあったという。

戦国末期の頴娃氏に代わって、天正一八年(一五九〇)以降揖宿郡島津義弘の直轄領となり、文禄四年(一五九五)六月二九日の豊臣秀吉朱印知行方目録(島津家文書)では義弘の蔵入地一〇万石のうちに「ゆふすき郡指宿村」一万六千八五七石余がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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